―存在とは何か

真理への飽くなき追究

2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧

時間に価値は無い

―時間に価値はない。 ・なぜ時間に価値はないか。それは、何も苦労せずとも手に入るものであり、善悪で考えると、別に善い事ではないからだ。時間を過ごす、即ち、年を取る事も価値は無い。別に年を取るのは誰でも出来る事であり、特別善い事でもないからだ…

当たり前の事に気づくのが真理である

―当たり前の事=真理 ・当たり前の事に気づかない。なぜか?人間は思い込み、観念の動物だからだ。 ・真理は己の内にある。それを思い込み、観念という堅牢な壁で囲い、自ら隠しているにすぎないのだ。知るとは、自ら考えて、想起するという事である。 ・真…

在る/無い、いる/いない、は等価ではない。

―在る/無い、いる/いない、は等価ではない。 ・在る、いるというのは易しいが、無い、いないというのは、比べものにならないくらい難しい、いや、困難、不可能とも言える。 ・例えば、宇宙人はいるか?いないか?という事を証明する時、いると証明するのはた…

なぜ、無価値な快楽を求めるのか?

―肉体の死は倫理の主軸である。 ・多くの拝金主義者、科学主義者、資本主義者、欲望主義者は、いわば、どうせ死ぬんだから、生きている間に楽しもう、又は、生きている事に意味など無いのだから、どうせなら楽しんで死にたいという考えが主軸にあると思われ…

死を恐れず、下劣である事を恐れよ

―死を恐れず、下劣である事を恐れよ ・死とは肉体の状態の変化にすぎない。生の意味を肉体の欲求に求める事はおろかだ。 すなわち、善悪の天秤ではなく、損得の天秤で量る人生など無価値に等しい。損得の天秤で量る者は自らの天秤で量られる、とイエスが言わ…

この世界は仮想現実(バーチャルリアリティ)である

―この世界は仮想現実(バーチャルリアリティ)である ・仮想と現実の区別がついていないというが、そもそも仮想と現実に区別などないのだ。 ・なぜなら、我々の実感しているこの世界は我々の認識により想像された物だからだ。 ・意識、心、死、同様、生、人…

人の不幸は欲する所にある

―人の不幸は欲する所にある。 ・欲する事に限りはなく、いずれ、手に入らなくなる。 ・人は手に入らない事を不幸に感じる。 ・ゆえに、欲し続ける以上、必ず不幸になる運命にある。 ・幸福を求める事も同様である。 ・人は、幸福とは何か?という問い対し、…

言葉とは、その人そのものである

―言葉とは価値そのものである ・言葉とは、その人、そのものである。言葉とは命である。 ・言葉を大切にするという事は、自分を大切にするという事に他ならない。 ・言葉とは存在しない物を認識し、あたかも存在するようにさせる力を持つ。言葉とは認識その…

なぜ人を殺してはいけないのか?なぜ殺すのか?

―なぜ人を殺してはいけないのか? ・自らの価値を下げるからである。 ―なぜ人を殺すのか ・価値を自らではなく、外に向けたからである。 ・価値を外に向けたのは、自らに価値を求めていない事の裏返しである。 ・人は生きている以上、他の命を奪って生きる宿…