―存在とは何か

真理への飽くなき追究

生きる事の意味についての小論

はじめに

必ず一生の内に誰しも一度は考える事、それは「生きる事に意味はあるのか?」という問いであろう。

しかし、この問いは正確には次の3つに分類される事になる。

①生きている事の目的はなにか?

②いずれ必ず死ぬのに生きる事に意味はあるのか?

③生きているはなぜか?

 

③について理解すれば、必然的に①と②についても理解したことになる。

そもそも自分が生きている=存在しているという事はある結果である。故に必ず原因がある。つまり、原因と結果の関係性を理解する必要がある。

<公理>

一、いかなる結果もある原因なしには在る事も考える事も出来ない。

二、原因は結果に先立つ

三、原因はある結果が存在する様に必然的に決定し肯定するがこれを否定しない。

四、結果は原因の認識を含みかつそれに依存する。

五、結果の力は原因の力を含みかつそれに依存する

六、原因は結果よりも大なる力能ないし完全性を有する

七、結果を理解するのは原因の観念でありそれ以外の何物でもない

 

定理一 結果は自らを否定し破壊する事が出来ない。むしろ自らを必然的に肯定し固執する。

証明 原因はある結果が存在するように必然的に決定し肯定する力を有し、否定する力を含まない(公理三により)。また結果は原因が有する力を含みかつそれに依存する(公理五により)。故に、結果自身の内には自らを肯定する力を少なからず有し、自らを否定し、破壊する力を有さない。なぜなら、そのような結果を否定し破壊する力は原因の内には何ら存在しないからである(公理三により)。即ち結果は自らを否定し破壊する事が出来ない。むしろ自らを必然的に肯定し固執する。Q・E・D

別の証明 もし結果自身の内に自らを否定し破壊する様な力を有しているとすると、その様な力は原因の力に依存している事になる(公理五より)即ち、あるものを存在する様に決定した原因の内に同時にあるものを存在しない様に決定する力を有している事になる。これは明らかに不条理である。故に結果は自らを否定し破壊する事が出来ない。むしろ自らを必然的に肯定し固執する。Q・E・D

 

 

定理二 存在する様に決定されたものは自己の有を無際限に肯定し固執する目的(衝動)を有して生きる事になる。

証明 前定理より明らかである。即ち生きている事、存在している事がある原因の結果である限り、必然的に自己の有を肯定し、固執する事になる。また自己の有を否定し破壊するようなものは自らの内には何ら含まれない。故に存在する様に決定されたものは自己の有を無際限に肯定し固執する目的(衝動)を有して生きる事になる。Q・E・D

 

定理三 自己の存在を否定し破壊されるような事があるとすれば、自己を存在するように決定した原因や、結果自身の内ではない外部の存在を原因とする事になる。

証明 公理三及び定理一より明らかである。

備考 この事から自殺とは、自己を否定し破壊するように決定した外部のものを原因とする事になる。

 

定理四 結果は自己の力の及ぶ限り、自己の有を否定し破壊するような外部の原因に抵抗する事になる。

証明 自己の有を否定し、破壊するようなものがあるとすれば、自己自身や自己の原因ではない外部のものである(前定理より)。また結果は自己の存在を無際限に肯定し固執しようとし、その力は原因の力に依存している(定理二及び公理五により)。よって、自己の力の及ぶ限り自己の有を肯定し固執するように努め、自己の有を否定し破壊する破壊する外部の力に抵抗する事になる。Q・E・D

備考 この事から、自己の有を否定し破壊する外部の力が自己存続の力を凌駕する時、必然的に存在する事をやめるのである。

 

以上でもって①と②の問に対する答えとする。

①生きている事の目的はなにか?という問いに対し、公理一により、生まれて来たのはある原因の力であり、それ以外の何物でもない。また定理二により、存在するように決定された以上、おのおのは自己の有を無際限に肯定し固執する目的の為に生きる様に決定されるのである。よって自らが存在する事も、自己の存在を肯定し固執する目的を有す事も、ある同じ原因によって決定されたのである。以上でもって①の問に対する答えとする。

 

②いずれ必ず死ぬのに生きる事に意味はあるのか?という問に対し、(定理一より)自己の内に自らを否定し破壊するものを含まない以上、自己が存在する事をやめるのは、外部のものを原因とする事になる(定理三より)。また、自己の力が及ぶ限り、自己の有を否定し破壊するものに必然的に抵抗する事になる(定理四より)。即ち、たとえ我々の外部に自己の有を否定し破壊するような原因が無数に存在し、いずれ死ぬ事になろうとも、我々はある原因によって存在する様に決定された以上、必然的に自己の有を無際限に肯定し固執する事に努めるのである(定理二より)。以上でもって、②の問に対する答えとする。