―存在とは何か

真理への飽くなき追究

当たり前の事に気づくのが真理である

―当たり前の事=真理
・当たり前の事に気づかない。なぜか?人間は思い込み、観念の動物だからだ。
・真理は己の内にある。それを思い込み、観念という堅牢な壁で囲い、自ら隠しているにすぎないのだ。知るとは、自ら考えて、想起するという事である。
・真理を掴むには、まず、感情という自己愛を捨てる事。自らの思い込みを疑い、自らと向き合う事。真理とは、自らの言葉ではない。即ち、オピニオン、意見が真理ではない。それは、物理で言う、数式や法則、原則であり、誰にとっても、真となるのが、真理である。真理とは、普遍的な物、時の試練を生き残る物、だから、価値がある。
・肉体は時の試練を生き残れないので価値は無い。形有るもの、必ず、壊れる。
・精神は時の試練を生き残るか?精神は物ではない。万物の理を受けない。では精神とは何か?精神はロゴス、言語か?では言語とは何か?言語とは、存在そのもの。存在とは何か?存在とはただ在る事。在る事とは何か?在る物は在るという事。なぜ在るのか?分からない。世界が在るのは、認識する精神が在るから、なぜ精神は在るのか?
・物質と精神は表裏一体の物なのか?波として存在する粒子は、観測する事により、位置が決定され、粒子として存在する。観測とは認識する事、即ち精神としての働き、精神が、物質に作用した?物質と精神は異なるものだが、分けて考える事は出来ないのではないか?
・世界を認識した結果、感情や、感覚という、物質ではない、何かが生まれる。それを快感と感じたり、不快と感じたりするこの感覚、これはいったい何なのか?明らかに、物質ではないのは確かだが、この無形の存在は何か?なぜに、人は、この刹那的感覚を得る為に、そして逃れる為に行動するのか?この刹那的感覚のどこに価値を求めているのか?
欲望を満たした事により得るこの刹那的快感に何の価値を見出しているのか?本当は何も考えていないのではないか?考えるという知性を欠如させ、ただ、体の赴くままに動物的に行動しているだけでは?それはあくまで、生きる為の手段であり、目的では無かったはずだ。逆転してしまっている。
・ただ、いきることには何の価値もない。そんな物、動物なら誰だって出来る。歳を取る事は何も尊敬させる事でもないし、威張る事でもない。人間の価値は、歳を取る事でも、金でも、社会的な地位でもない。善く生きたかどうかだ。ただ生きる事に価値はないのだから、善く生きる事だけが価値があるのは当たり前。
・ただ生きる事が価値があると思っている人が多すぎる。醜態をさらしてまで生きる事に価値は無い。さっさと死ぬべきだ。人は死ぬという物を知らないのに、否定的に捉えすぎている。死ぬ事が良いか、悪いかなんて死んだ人にしか分からないのに、悪いと思い込んでいる。だから、死ぬことより、生きる事が良いか悪いかなんて事も分からない。そもそも、死ぬ事により、肉体は無くなるが、私が無くなるとは分からない。私とは肉体の事ではないからだ。体や、脳のどこを切り取っても、そこが私ですと言う事はできない。そもそも、私とは精神の事を示している事であり、私とはそもそも思い込み、観念なのだ。私はない。在るのは精神。精神とは知性、ロゴス。ロゴスは存在。存在とは在る事。つまり、私は在る、精神は在る、ロゴスは在る。在る物は在る。無い物は無い。これが真理。だから、死という言葉があるだけで、生という言葉が在るだけ。死が分からないのにどうして生が分かるのか?つまり、生と死は、そもそも区別する事が出来ない物なのだ。わからないのだから、ネガティブに捉えるより、ポジティブに捉える事の方がよほどいい事だと思うが。
・だいたい、自分の命とか言うが、自ら望んで自分の命を作ったり、自ら望んで自分の命を手に入れた人が一人としているだろうか?すべては、天、すなわち宇宙と言う存在の神により、借りている物だ。命が自分の物でないなら、自分の考え、財産や物も自分の物でない。すべて自分の物だという思い込みにすぎない。こんな当たり前の事に気づかないから、人は感謝を忘れ、争いを行うのだ。
 
―絶対的な善とは何か?
・相対的な善、すなわち、己にとっては善い事でも、相手にとっては悪い事、これは、自己愛、損得勘定のいやしい下劣な悪である。
・絶対的な善とは、自分にとっても、あいてにとっても善となる行いをいう。考える事は善であるから、一緒に考える事は善である。同様に、相手を愛する事は、善である。己の魂を愛する事にもあるからだ。
 

―考えるとは本質を捉える事。

・天才とは、あたりまえの事に気が付く能力の事である。

・すなわち、本質を追究し、思い込みや観念を打破する。常識をぶち壊し、真の常識に気付くと言う事。

・カネを儲ける方法を知っている人より、その金とは何かを知っている人の方が尊い

・人間は堕落する。死ぬまで堕落する可能性を秘めている。堕落する人間は、自分に問う事を止めた人。考える事を放棄した人。知性を、ロゴスを売った人。

・プロとはそれで食っている人の事ではない。食う為の仕事などたかが知れている。食おうが、食えまいが関係なく、その仕事をする事に決意を持っている人、それがプロだ。

・知者とは知、真理を愛する人。己への愛や欲望などどうでもいいのだ。

・考える事は善である。愛する事は善である。知ることは善である。

・真理を愛する、これほどの善行があろうか?

参考文献 当たり前の事ばかり 池田 晶子