―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―僕らは命に嫌われている

―僕らは命に嫌われている
 
青年達の対話のある一コマ
 
青年A「今度の休暇にハワイに行こうと思うんです。」
青年B「いいねー。飛行機とかは初めて?」
青年A「はい、初めてです」
青年B「飛行機のチケットは取った?」
青年A「いえ、まだです。」
青年B「早めにとっておいた方がいいよ。時間がかかるから。あと、ちなみに座席は後方の方がいいよ。]
青年A「え、何でですか。」
青年B「もし、墜落したとき、後方座席の方が助かる可能性が高くなるから。チケットの値段もその分、高くなるけどね(笑)ちなみに前方の座性はほぼ100%死ぬから」
青年A「へーそうなんですか。でも自分は前方座席でいいです。」
青年B「なんで?」
青年A「だって他人が死ぬのは悲しいけど、自分が死ぬのは悲しみようがないので。」
青年B「・・・でも自分が生きていた方がよくない?」
青年「でも前方座席の死ぬ確率は100%ですけど、後方座席が死ぬ確率も100%じゃないですか」
青年B「あー、、え、なんで?」
青年A「だって、人間は死ぬ様に作られているからです。(僕らは命に嫌われている)生まれて来たなら100%死ぬからですよ。」
青年「・・・あーまぁ、そうだね。」
青年A「死ぬように作られたという事は、生きる事が目的ではないという事ですから。」
青年B「あーつまり、死ぬ事が生まれて来た目的ってわけか。」
青年A「いや、死ぬ事が目的なら、わざわざ生まれる必要もなかったのだから、死ぬ事も自分たちがいる事の目的ではないんですよ」
青年B「じゃあ、生きる事も死ぬ事も目的でないなら、一体、何のために我々はここにいるんだ」
青年A「そんなの分かんないですよ。でも、どうせ生きているなら、間違っているよりかは正しくありたいし、悪くいるよりかは善くありたいし、醜いよりかは美しくありたい。もしもそれを貫く事で死ぬ事になっても。だって、生きる事も死ぬ事も自分達の目的ではないのですから。」
 
『命に嫌われている』
歌 柘榴様
作詞 作曲 カンザキイオリ様