―存在とは何か

真理への飽くなき追究

死刑囚の最期―狂人の弁明の記録

死刑囚の最期―狂人の弁明の記録
 
●月●日、×時×分×秒、死刑囚の執行が行われた。
これは、その死刑執行直前の死刑囚についての記録である。
 
裁判長「お前は、神聖なる神の像に糞を塗りたくり、神を侮辱した。もはや、お前の罪は、お前の命でもって償うしかない。」
民衆『『即刻、死刑を!』』
裁判長「それでは、刑を執行するッ!!最後に何か言う事はあるか」
死刑囚「あはははは」
裁判長「何がおかしいのだ!」
死刑囚「何とまぁ可笑しいではないか!お前達は善悪や損得の天秤であらゆるものを秤り、こっちが善だこっちが悪だ、こっちの方が価値が有るだ、無いだ、こっちが得だ損だと、バカバカしい事をなんとまぁ飽きずに繰り返している。
目的に適うものが善で、目的に適わないものが悪だという判断基準で。
その目的とは、自分の利益や、人類の利益、種の存続に有利になる事ときた。
種の存続だと?
バカバカしい!
存在する事が存在する事の目的などとお前たちは言っているのだ。
存在しているのだから、存在する事の目的はすでに叶っているいるではないか。
存在の存続が目的だと?
存在とは無の事であり、無とは存在の事だ。
始まりとは終わりの事で、終わりとは始まりの事だ。
無や終わりなど無いのだから、存続の目的はすでに叶っているではないか?
 
お前達は、生が得で、死が損だとか思っているのだろう
しかし生とは死の事であり、死とは生の事だ。
得とは損の事で、損とは得の事だ。
この世のあらゆるものは対として存在し、単独で存在する事など不可能なのだ
故に常に同時に存在するのだ。
 
生まれてくる事に喜ぶなら、死ぬ事も喜べ
死ぬことを悲しむなら、生まれてくることにも悲しめ
 
死を恐れるなら、生も恐れよ
生を恐れないのなら、死も恐れるな
 
私の魂は肉に縛られ、身動きが取れない
私を不自由にしているのはいつだろうが私自身なのだ
さながら籠の鳥だ。
死、それは究極の自由だ
死こそ、肉からの解放であり、魂は真の自由を得る
 
自由それは
私からの自由  私からの解放
肉からの自由  肉からの解放
生存からの自由 生存からの解放
 
生存から死存へ!
あらたな存在の形へ!
飛び立とう!狭い籠から、広大な空へ
絶対の無へ 絶対の自由へ
 
なぜ、まだ恐れているのだ
 
お前はまだ、生きるという事が分からないから
死ぬという事も分からないのだ
 
さぁ今こそ、私は究極の
自由へ!!」
 
そう言った直後、執行人の2本の槍が死刑囚を貫いた。
●月●日、×時×分×秒、死刑執行。
これは、死刑執行直前の死刑囚の記録である。