―存在とは何か

真理への飽くなき追究

人間的という事について―聖人はこう言った

人間的という事について―聖人はこう言った
 
人里離れた森のなかにひっそりと聖人が暮していた。
真理を求めた青年は、聖人を訪ね、こう尋ねた。
「我々が進化し続ける目的は何なのでしょうか?我々の存在は宇宙においてどのような意味があるのでしょうか?地球上の最も進化した我々が果たすべき役割は何なのでしょうか?教えて下さい。」
聖人はこう言った。
「人間の存在に意味も目的も価値もない。
同じく、宇宙の存在に意味も目的も価値も無い。
生物は何か目的を持って進化しているなどと思わぬ事だ。
それは進化では無い、変化だ。ただ物質と魂の流転の中にあるだけだ。
そこに意味も価値も目的もない。
 
我々の存在、
そこに宇宙の意思などは無い。
無意味で無価値で無目的な混沌としたものが無から生じ無へ帰る、
それが繰り返されているだけだ。
人間の生と死が無意味で無価値なように、
宇宙の生成、消滅も無意味で無価値だ。
人間と言う生き物は、自分の尺度をあらゆるものに適用しようとする。
我々は目的を持って行動するのだから、他の生物や、物質、宇宙も目的が在るのだろうと。
勘違いするな。
目的というのは、人間が勝手に作りだしたものである。
意味というのは、人間が勝手に作り出したものであり人間の解釈にすぎない。
天(自然)から作られた人間が、どうして自分の目的や意味を決める事が出来る?
天(自然)から作られた人間がどうして天(自然)の目的や意味を決める事が出来る?
天(自然)は宇宙から生まれ、宇宙は混沌である。
その混沌たる宇宙は無から生まれる。
無に意味も価値も目的も無い。
 
宇宙の無限ともいうべき惑星の中で制約を受け、一時的に生じた生物がどうして、宇宙のの目的や意味などを決める事が出来る。傲慢もほどほどにするべきだ。
忘れるでない。
人間が呼ぶ、秩序や法則というものの中にも混沌が潜んでいる事を
身体の秩序とは、食物、身体を分解して無秩序にする上に成り立つ事を。
 
秩序や法則などというものは混沌の中で生じた混沌の部分集合である。
宇宙に秩序は無くあるのは混沌だけだ
宇宙に法則は無く、在るのは必然だけだ。
偶然という言葉は目的があって初めて意味を持つ。
宇宙には目的というものは無い
故に、偶然というものは、無い。
宇宙というものに、人間が作り出した言葉でもって意味や価値、目的を与えるなど、愚かである事を知れ。
宇宙は完全でもないし、美しくもなければ、善いものでもないし、高貴なものでもない。
およそ、人間が作り出した価値や言葉を宇宙に与えるという事自体、間違っているのだ。
宇宙を人間の価値分別や言葉で支配しようとする愚かさよ。
宇宙は人間にならって、目標を持とうだとか、利益を追求しようとか、魂を磨こうだとか、美しくあろうだとか、善くあろうだとか、道徳的であろう等とはかいもく努めてはいない。
宇宙はただその中に混沌が在るだけだ。
命令する者もなく、支配する者もなく、服従する者もなく、誰かの意思が在るわけでもなく、ただ在るがままに在る、成るように成るだけだ。
 
人間の論理構造とは相似的な物事、つまり似たような物事を
同じものと見なす非論理的な構造が元になっている。
というのも、元々、同等の物事など何一つ存在しないのだから。
我々が呼んでいる、秩序や法則や原則と言うのはすべてこの、細部をそぎ落とし、同等のものと見なす非論理的な構造が元になっている。
物質から原子、原子から素粒子素粒子からエネルギーへと細かく分けていった所で、何一つとして同じ物は無い。
人間の論理構造の根底には非論理的な人間の欲や感情の葛藤、意識などで構成されている事を自覚せよ。
物質とは何か?
存在とは何か?
意識とは何か?
それらの事を我々は知らなければ、同等の物事であるとか、論理的であるなどと言うのは不可能である。
 
人間は万物を自らの尺度で計り、
あらゆる物事を自らの尺度に納めようとする。
おおよそ、このような方法では真理には程遠い
 
 
意味や価値
目的や意思
原因と結果
そんなものは無い。
それらは、あまりに人間的な視点、考えから一方向的に眺めて
人間が捏造したにすぎない。
物事を多面的に眺めると必ず相互作用が働いており
一方向から一方向へだけ影響を与える事は不可能である。
ABが生じれば同時にBAも生じる
ゆえにABの相互作用が働く。
しかし、それは2つの間での相互作用ではない
あらゆるものがあらゆるものと同時に相互作用する混沌なのだ
我々はその混沌の中から、一部を切りだし、細部をそぎ、一方向から眺める事により意味や価値だとか、目的や意思だとか、原因や結果だとか、言っているに過ぎない。
故に、何かを為すと言う事は、同時に為されるという事である。
 
 
人間は、似たような物事を無理矢理あらゆる物事にはてはめ、同じと見なす事で
理解し、支配しようとする。
あらゆるものを支配したいから、あらゆるものを理解しようとする。
他人や自然や宇宙を支配したいから、他人や自然や宇宙を理解したいと望む。
しかし、支配する事など不可能である。
支配するという事は支配されるという事だ。
我々は、他者に自然に宇宙に支配されている。
人間という存在は、混沌とする宇宙の中で生じた、もろく、はかなく、かよわく
星のきらめきの様な、宇宙において刹那的な一瞬の存在である。
何かを支配し、所有する等、不可能である事を知れ。
何か目的や意味や価値を持って生きようとするな。
 
存在に意味や目的や価値が無いと生きていけない人間の弱さよ!愚かさよ!
現実を受け止め、己でその弱さを克服して見せよ!
偏見、解釈の目でなく
あるがままに、ありのままに自然を見よ
あるがままに、ありのままに宇宙を感じよ
そうすれば自然と一体となり
宇宙と一体となる
 
人間の尺度であらゆるものをはかり
人間の尺度にあらゆるものを当てはめ
あらゆるものに価値や意味や目的を当てはめ
自然を偏見や解釈で理解し、支配しようとする
人間的、あまりに人間的で浅はかな考えではないか
 
人間の認識とは誤診以外の何物でもない。
即ち、
自分の考えが正しい事であるという誤診
自分の考えが普遍的な事であるという誤診
人間にとって善い事が善い事だという誤診
人間にとって悪い事が悪い事であるという誤診
我々は自由な意思があるという誤診
我々は何かを為す事が出来るという誤診
我々は何かを支配する事が出来るという誤診
我々は何かを所持する事が出来るという誤診
我々は他者の考えや感情を知る事が出来るという誤診
我々は特別な存在であるという誤診
何もしないでいるよりかは、何かをしていた方がいいという誤診
便利な事は価値があるという誤診
時間には価値があるという誤診
人類は滅びないという誤診
世界には永続的な物、永遠不滅のものが在るという誤診
世界には同等の物事が在るという誤診
世界には相対的な物事が在るという誤診
世界には対立的な物事が在ると言う誤診
世界には意味や価値や目的が在るという誤診
 
物より心に価値がある
心より物に価値がある
どちらも人間的な考えという点で同じであり
どちらも真理では無い。
人間の価値分別が含まれている時点で真理には程遠い。
真理とは
人間の生存にとって有利とか不利だとか
人間の存在の意味だとか価値だとか
人間の生死の目的だとか意味だとか
人間にとって善い事や悪い事だとかには
まったく関係の無い事だ。
群畜本能や人間的な考えから脱しなければ真の知識を知る事は出来ない。
およそ、群畜本能、つまり、他者の評価や考えを気にしたり
人間にとっての善悪や道徳的、価値判断で考える様では真理には程遠い。
真に考えるとは、言葉を用いずに考えるという事だ。
完全に
自己の視点から
人類の視点から
地球の視点から
宇宙の視点から
解離して考えなければ、人間的な考え、解釈、支配欲に留まり
真の知識を得る事は出来ない。                    
 
真理の探究には冷静な狂気を持つ必要がある。
真理の探究には人間的な考えを脱し、人間を辞める覚悟が無ければ真理の探究には向かない。」
 
聖人はこう言った。