―存在とは何か

真理への飽くなき追究

笑いとは何か―矛盾の解消と弁証法的統一について

笑いとは何か―矛盾の解消と弁証法的統一について
 
笑いとは何か。
あらゆる事象にはそれを引き起こす<初動因>と、目指すべき所の終わりである<目的>がある。
では、『笑う』という事象の<初動因>と<目的>は何か。
 
≪初動因≫矛盾の解消、弁証法的統一、対立物の一致の際に、引き起こされる。
≪目的≫恒常性の維持(ホメオタシス)。異常→正常(中庸)へ。恐怖(不快)→平常へ。さらには、異常が無い事を、正常であることを集団に伝達。
 
笑いの≪目的≫について。
笑う事により引き起こされる結果を<目的>と解すなら、笑うとは、恒常性の維持という『善』なる目的に向けて生ずるのであろう。
笑う事により、不安や恐怖が和らぐ事は誰もが経験する事であり、緊張した筋肉(ストレス状態)が弛緩し、時には立っていることも難しくなる事もある。ストレス状態→平状態へ向かう。それまで、考えていたある思考が笑う事によりリセットされる。笑いながら、思考できる者はいない。故に、笑うとは肉体的にも精神的にも平常状態(中庸)に戻す事にある。
笑いは伝達する。反復的な音(聴覚的要素)と笑顔(視覚的要素)によって。
個人の恒常性の維持(異常→平常)という目的を達成させるだけならば、わざわざ反復的な音を発し、笑顔になる必要性は必ずしもないが、笑いが、集団における他者の恒常性の維持も目的としているならば必要性はある。
反復的な音声は、空気に振動を与え、周囲に伝達させる。
笑顔はそれを見ている者に「異常はなく、心配する必要はない」という事を、視覚的に訴える方法となる。なぜ、笑顔を見ると、他の者も笑顔になるかという理由については、笑顔それ自体に<初動因>が含まれていると考えられる。
 
笑いの≪初動因≫について。
<初動因>はある事象を引き起こす。この場合、笑いという事象を引き起こす初動因は、矛盾の解消、弁証法的統一、対立物の一致となる。
矛盾の解消に必要なものは何か。まず矛盾が必要である。矛盾とは何か。矛盾の成立に必要なものは真実(正、真)と嘘(反、偽)である。
ABである」が真実であるならば、
ABでない」は嘘となる。
嘘を作るには、真実が何であるか知らなければ、嘘は作りようがない。
真実が何であるか知っているから、嘘である事が分かる。真実はただそれのみで存在する事が出来るが、嘘はただそれのみでは存在する事が出来ず、真実に依存する事によってのみ存在する事が出来る。嘘は真実に内包されている。真実は嘘を内包する。
真実(嘘)。
つまり、真実の裏の性質の一部が嘘となる。
 
ある1つの真実によって矛盾を作る事が出来る。
1、「ABである」
2、「ABでない」
さて、この矛盾を解消する為にはどうするか。
嘘の嘘をつけばいい。裏の裏は表となる。
真実の裏の性質によって生じた嘘をもう一度ひっくり返してやればいい。
ABでないことはない」=「ABである」
矛盾は解消でき、元の1なる真実の姿に戻る事が出来た。(対立物の一致、弁証法的統一)
この構造は何度も繰り返す事が出来、無限の運動を生む。
ABでないことはないことはない」=「ABでない」嘘
ABでないことはないことはないことはない」=「ABである」真実
ただそれのみによって存在する事が出来る1なる存在は無限に分離し、そして還元する運動を繰り返す事が出来る。
であるから、笑いの初動因である所の矛盾の解消、弁証法的統一、対立の一致は、ただそれのみによって存在する事が出来る真実(正)からまず、嘘(反)が創られ、対立、矛盾が生じる。
真実(正)×嘘(反)→矛盾(正反)の成立。
この矛盾に再度、嘘(反)を加える事によって、矛盾は解消され、統一される。
矛盾(正反)×嘘(反)→真実(正反反)=真(正正)=真(正)
つまり
真実×嘘=矛盾の成立
真実×嘘×嘘=矛盾の解消
真実に(2n1)回、嘘をつくと矛盾は成立し
真実に(2n)回、嘘をつくと矛盾は解消される。
正×(2n-1)反=矛盾の成立、対立の成立。
正×2n()=矛盾の解消(合)、弁証法的統一、対立の一致。
 
であるから、笑いは
真実×2n(嘘)=「矛盾の解消、弁証法的統一」が≪初動因≫となり「笑い」が生じる。
 
さて、笑い顔、それ自体が笑いを周囲に伝達するの事が出来るのはなぜか。
笑顔それ自体が<初動因>、つまり「矛盾の解消」を引き起こすからではないか。
笑い顔と威嚇する時の顔は違う様で似ている。
動物が威嚇する場合、武器である犬歯をみせて威嚇するが、これは笑い顔にもあてはまる。
人間も笑う時に犬歯を見せる。威嚇それ自体は相手に危険である事を伝達する手段である。(私は牙をもっているぞ。危険だから、よってくるな!)
しかし、笑いの目指すべき所の<目的>は、異常で無い事、危険ではない事を伝達する事にある。
つまり、笑い顔はそれ自体で矛盾が成立している。
この笑い顔をみた相手は、
1、笑う事は危険でない事を伝達するものである。しかし、
2、危険である事を伝達する手段を使っている
の矛盾が成立するが、
笑い声の音声や、筋肉が弛緩した戦闘態勢ではない相手のそれ以外の動作により、危険あることは、ない。=危険ではないと判断する。ここにおいて、嘘の嘘が生じ、真実である「危険で無い事を伝達する事」と一致し、「矛盾が解消」される→笑いが生じる→笑いは周囲に伝達する。
 
まとめると、ただそれにみによって存在する正から反が生じ(対立)し、そして合(一致)となる。
 
すでに在るもの「A」から「B」が分離し「AB」になり、再度「B」が加わり、「A」となる。
 
『在る』に依存して成り立つ『無い』は
無いは無い=在るへ
 
生に依存して成り立つ死は
死×死=再び生へ
 
今に依存して成り立つ過去(未来)は
過去(未来)×未来(過去)=再び今に

私に依存して成り立つ他者は
他者×他者=再び私に
 
真に依存して成り立つ偽は
偽×偽=再び真へ。
 
プラスに依存して成り立つマイナスは
マイナス×マイナス=再びプラスへ
 
物質に依存して成り立つ反物質
反物質×反物質=再び物質へ
この宇宙は反物質ではなく、物質より成り立つは、なぜか。
物質である所の隠れた性質である反物質が分離し
再度、反物質反物質から、物質に弁証されたからではないか。
正確には反ニュートリノと反ニュートリノが元の物質である所のニュートリノに弁証されたからではないか。
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宇宙の歴史、万物の生成、森羅万象、人類の歴史とは、つまりすべてこれではないか。


 


全ての1である所の≪存在≫が自らの【充実】又は【不足】に耐えかねて、分離し、そして還元する無限の自己散還相互運動。


 


その目指すべき所の終わりである究極の目的は『善』であるか。