―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―断片集

―断片集
 
≪宇宙は目指すべき所の終わりである究極の善に向けて突き進む。宇宙より生じた我々もまたその目的の為に在る≫
 
 
 
≪ここに意思のある指先があるとする。もし、この指先が体の意思を無視して自分勝手に振る舞うと、この指先は切り捨てられる事になるだろう。体の意思の従うことが、この指先にとっても体にとっても善い事になる。もし体の意思を知らぬまま生き続けると、この指先は不幸になるだろう≫
 
 
 
≪人に仕えて天に仕えず。(なぜ人に仕えるのに、人を生んだ天には仕えないのか)≫
 
 
 
≪他人や自分を欺けても、天を欺く事は出来ない≫
 
 
 
≪他者の評価ほど、下らないものは無い。
私は他者を評価する事も、他者から評価される事も嫌悪する。
だいたい評価できるほど私の(他者の)何を知っているというのか。
何も知らないくせに、なぜ評価しようとするのか。
評価するという事は、つまりは自分の為なのではないのか。
私の事を知っているのは私だけだ。
自分の事を評価できるのは自分だけだ。
そして自分の事を「正しく」評価できるのは天だけだ
気にかけるべきは他者の評価ではなく、天の評価である≫
 
 
 
≪他者から愛されないだとか、名誉を傷つけられたとか、嫌われただとか、他者から認められないだとか、およそ取るに足らない事に対し、毎日毎晩頭を悩ませるのに、これらの事を全て無駄にする最重要の死についてはまるで無頓着。他者からの評価ばかり考えて、それらを全て無駄にする死についてまるで考えようとしない。まさに異常、奇怪、狂気の沙汰。
人間は否応なしに狂っているので、狂わずにいる事が、他の狂気の在り方からすえば狂っている事になる。
例えば、無知と死から目をそらし続けて生きる民衆に対し、無知と死から目をそらさず生きるソクラテス。彼の姿は民衆の目には狂気に映り、恐れられ死刑となった。≫
 
 
 
≪常に生じている事に対しては、どのような仕組みでそうなっているのか分からないのに驚かないが、滅多に生じない事が起きた時は奇跡だと驚く。
滅多に生じない奇跡よりも、常に生じている奇跡にはなぜ驚かないのか。
物質が在るという事。意識が在るという事。<私>が在るという事。
存在しているという神秘≫
 
 
 
≪この世界には寸分違わず同じものは何一つとして無い
仮にもし在ったとする。それは寸分違わず同じものなのだから、同じ性質、同じ属性、同じ空間を占めているという事になり、もやは、区別がつかない。
ならば、それは、違いがないので一つだと見なされ、仮に寸分違わず同じものが在ったとしても、在るとは見なされない事により、無い事となる。
我々も同様に、各人がコピー不可能な唯一無二の何かを有している。それが私の本質であもある≫
 
 
 
≪私を捨てる事で、真の<私>が現れる
私に付随している肉体、人格、性格、知性、理性、魂等の性質、属性を全て捨て、最後に残ったのが真の<私>である。
ここに私に付随している性質と属性、全てが全く同じコピーがいるとする。
さて自分とそのコピーのどちらが私であるか、自分が間違える事は絶対に無いのはなぜか。
それこそ、絶対にコピーする事が出来ない唯一無二の何かが私にあるのであり、それこそが真の<私>なのだ。≫
 
 
 
≪第一の誤り。
<私>に付随している性質、属性の方を私だと思い込む事。
第二の誤り。
それを誇張する事。≫
 
 
 
≪未来の事は分からない(予測)する事は出来ないのだから、真理など無いと君は言うのか。しかし、未来は観念の内でしか存在しない。そして観念は今の内にしか存在しない。
つまり未来も今の内でしか存在しないではないか。
未来を変えるなんて、楽勝だ。ほら、今すぐにでも君の観念を変えるやるだけでいい。
つまり、今しかないのだから、今は永遠として在る。故に今、正しい事であれば、それは正しい事であり、真理だ。≫
 
 
 
≪人間にとってしかるべく否定し、疑い、考える事は、馬にとって走る事と同じく重要な事だ。即ち観念を観念と見抜く事、虚構を虚構と見抜く事、何が価値で在り、何が価値で無いか見抜く事≫
 
 
 
≪医者の仕事
苦痛と死から患者の目をそらさせる事。
医者は患者にしっかりと告げるべきだ。
「私があなたに出来る事は、励ましと、薬を与える事によって、苦痛と死からあなたの目をそらせる事が出来るだけです。あなたが死んでもそれは病気のせいでも医者のせいでもありません。もともとあなたが死すべきものとして作られていたからなのです。ですから、あなたの目的は生きる事ではありません。『善く』生きる事なのです。よろしいですか。それでは診察を始めます。」と。≫