―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―人生の意味について

―人生の意味について
 
登場人物
太郎
 
太郎「ソクラテスおじさん」
ソクラテス「何だい、太郎クン。」
太郎「人生の意味って何?僕は何の為に生きているの」
ソクラテス「うん、じゃあ今日はそれを一緒に考えてみようか。」
太郎「うん!」
ソクラテス「では太郎クン、人生の意味は何かと君は聞いたけど、そもそも「意味」とは何だい?」
太郎「え、意味の・・意味?うーん、そういえば確かに意味って何の事だろう・・?」
ソクラテス「例えば、君が「リンゴ」という言葉の意味を聞かれたらなんて答える」
太郎「えーと、赤くて丸くて美味しい果物の事です。」
ソクラテス「そうだね。じゃあ包丁でリンゴをうさぎさんの形ににする事の意味は?」
太郎「それは、食事を楽しむ為です。」
ソクラテス「つまり、意味といっても2通りの使いかたがある訳だね。1つは言葉の意味。つまりその言葉は何を表現しているのか?もう一つは目的。何の目的の為にするのか?という事を知りたいときに使う場合。さてでは、太郎クンが初めに聞いた「人生の意味」の意味はどっちの方かな?」
太郎「うーん。どっちもかな。つまり僕が知りたいのは人生という言葉の意味と、人生の目的の2つを知りたいんだよ!」
ソクラテス「うん、知りたいという欲望は人間の本質だから、知りたがる事は実に素晴らしい事だとも!ではまず、人生という言葉の意味から考えてみよう。人生という言葉は何を表現しているかな?」
太郎「えーと、人が生きると書いて人生だから、人が生きている事を人生という言葉は表現していると思います。」
ソクラテス「そうだね。つまり逆に言えば、死んでいたら人生とは言えないよね。つまり人生とは死んでいないという事も同時に表現している訳だ」
太郎「そうですね。」
ソクラテス「さて、では人間は遅かれ早かれ必ず死ぬ。これは正しいかね。」
太郎「はい、正しいです。」
ソクラテス「つまり、人生とは人が生きている事を表現している。そして生きているとは死んでいないという事でもある訳だ。そしてボクたちが必ず死ぬという事も真実である訳だ。」
太郎「そうですね。」
ソクラテス「さてここで人生の目的について考えてみようか。太郎クン、君は何の目的の為に人は生きていると思う?」
太郎「うーん、やっぱり生きる為じゃないかなー?」
ソクラテス「そうか、あれ?でもおかしいと思わないか太郎クン。先ほど、僕たちは生きているものは必ず死ぬものである事に同意したね。つまり、生きる事の目的が死なない為なんて矛盾しているじゃないか。」
太郎「あれ、ほんとだ。。じゃあ僕たちは毎日何の為に生きているの?」
ソクラテス「そう、ここに来て初めて僕たちは真に生きる事の意味について疑問に思うわけだね。生きる事が生きる事の目的でないなら、生きる事の目的はなんだろうとね。」
太郎「うーん、何だろう・・・?」
ソクラテス「太郎クン。所でボクは意味の意味について問うた時に、包丁でりんごをうさぎさんの形にする意味について君はなんと答えたか覚えているかい」
太郎「うん、楽しむ為と答えました」
ソクラテス「つまり、包丁でリンゴをうさぎさんの形にするのは生きる為ではない。」
太郎「そうです。」
ソクラテス「そして生きる事も生きる事が目的ではない」
太郎「そうですね。」
ソクラテス「では、何の為かな」
太郎「楽しむ・・為?」
ソクラテス「そうだとも!実に素晴らしいね君は。あらゆる個物は自己の存在を思う存分楽しみ、自己の存在に満足する為に存在しているんだよ。あの大空を飛び回るあの鳥だって、そこの水の中を泳ぎ回る魚だって、あっちの太陽をその身に浴びて青々と茂らせた葉を揺らすあの木々だって、自己が有す能力を存分に発揮して生きるで自己の存在に満足し、自己の存在を楽しんでいる。そして楽しむとは善く生きるという事でもあるんだ。」
太郎「楽しむ事が善く生きる事になるってどういう事?」
ソクラテス「いいかい、僕たちにとっての善が、必ずしも他のものにとってのも善とは限らないよね。例えば僕たちにとって水中で生活するよりも地上で生活する方が善いけど、魚にとって、地上で生活しようとする事はかえって悪になる。」
太郎「そうですね。」
ソクラテス「人間だってそうだ。そばが好きな人にとってそばを食べる事は善だけど、そばを食べるとアレルギーを起こす人にとってはそばを食べる事は悪になる」
太郎「そうですね」
ソクラテス「つまり、僕たちが善と呼んでいるものは、自己が認識した限りにおける喜びの感情に他ならないじゃないか」
太郎「あーなるほど。自分が喜んでいる事を自分が認識したとき、これは善だと判断するのかー。じゃあ悪は?」
ソクラテス「悪は、自己が認識した限りにおける悲しみの感情に他ならない。」
太郎「つまり、自分が悲しんでいると認識したから、これは悪だと判断する。。」
ソクラテス「そう、だから、あるものを与えて喜ぶものもいれば悲しむ人もいる。なぜなら人は十人十色で、誰一人として同じ人間はいないからだ。つまり、自己の本性に適したものと敵さないものがある。そしてそれは人それぞれ違う。だからある人にとって善いものが別の人にとっては悪という事は容易に考えられる。つまり、自己の本性に適したものがそのものにとっての善であるという事になる。なぜなら、自己の本性に適したものは、自己の本性をより発揮したり向上させる事が出来るからだ。あらゆる個物は自己の本性を十分に発揮する事で喜びを感じる。つまり自己の本性を発揮したり向上させる事はそのものに喜びの感情を生じさせる。その喜びの感情を自己が認識することにより、これは善だと判断する。あるいは、自己の本性が阻害や抑制させられる事は悲しみの感情を生じさせる。その悲しみの感情を自己が認識する事により、これは悪だと判断する。」
太郎「なるほど。つまり、僕たちの善悪の認識は自己の喜びと悲しみの感情に依存している。そして喜びと悲しみの感情は自己の本性に依存しているという事ですね。」
ソクラテス「泳ぐという本性を有す魚にとって、地上で生活する事は、魚の本性をかえって阻害し抑制するからね。そしてそれは魚にとって悲しみの感情を抱く事になる。」
太郎「魚も感情を抱くの?」
ソクラテス「もちろん僕たちが抱く、悲しみの感情とは質が異なるだろうけど、他の生物に感情が存在しないという事はまずありえない。もちろん高等生物になる程、感情はより豊かになっているとは思うけどね。身体の構造がより複雑になる事と比例する様に。」
太郎「ロボットも複雑になれば、人間の様な感情を抱く事になる?」
ソクラテス「人間が一度だって植物や微生物を作りだした事があるかい?植物や微生物のように人間よりはるかに複雑でないものでさえ作れないんだから、人間の様に複雑極まりないものを人間が創る事は出来ないよ。だから人間のような感情を抱くものを人間が創ることはまず不可能だろうね。」
太郎「ふーん。そっかー」
ソクラテス「話が少しそれたね。さて、じゃあここまでで、僕たちが善や悪と判断するものは、自己が認識した限りにおける喜びや悲しみの感情である事が分かったね。」
太郎「うん。」
ソクラテス「そして喜びは、自己の本性が向上ないし、発揮される事で生じる感情である事が分かったね。」
太郎「自己の本性って具体的に何の事でしたっけ?」
ソクラテス「例えば魚だったら泳ぐ事だし、鳥だったら飛ぶ事だし、人間だったら考えたり、知る事だったり創造する事だったり、つまりそれぞれの個物が有す能力の事だね。」
太郎「なるほど。自分の能力に適したものや自分の能力を発揮したり高めたりするものは喜びの感情を生じさせる。それをボクは認識して善と判断する」
ソクラテス「そうだ。さて、初めに僕たちは生きる者は必ず死ぬ事に同意した。だから生きるという目的の為に生きる事は不条理である事に同意した」
太郎「そうです。矛盾しているから、生きる事の目的はそれ以外の目的でなければならないのでした」
ソクラテス「そして、太郎クンは生きる事の目的は楽しむ為だと答えてくれた」
太郎「はい。ソクラテスおじさんはそれを、自己の存在に満足する事だと補足してくれました。」
ソクラテス「そうだとも。あらゆる個物は、鳥だって魚だって植物だって自己の本性や能力を存分に発揮している限り、喜びを感じ、自己の存在に満足する。自己の喜びの感情を認識する限りにおいてそれを善と判断する。つまりそれが善く生きるという事になる。つまり、、、太郎クンはもう分かったかな?生きる事の意味が。」
太郎「はい。僕たちは自己の能力を存分に発揮したり向上させたりして存在する事に喜びを感じたり楽しんだりする、つまり自己の存在に満足する為に生きているんですね。それを僕たちは善と判断する。つまり僕たちはただ生きる為に生きるのではなく、善く生きる為に生きているんだ!」
ソクラテス「そうだとも!太郎クン、君は実に素晴らしいよ。ボクにとってはこうして君と対話する事がボクの認識力を発揮したり向上させたりする事になる。つまり僕は喜びを感じ、僕にとって君とこうして対話する事は善く生きる事になるんだ。また君とこうして対話する事をお願い出来るだろうか。」
太郎「もちろん!」
ソクラテス「ありがとう。太郎クン!それではまた!」