―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―哲学について

―哲学について
 
あなた哲学と聞いて何を思い浮かべますか。
哲学なんて、難しい事をあーでもない、こーでもないと永遠と議論を繰り返すだけの実生活には何も役にたたない、時間の無駄!なんて思っている方が大半だと思います。
そんな事するんだったら、もっと別の事に時間を使うべきだと考えている方がほとんどでしょう。
でも、別の事って何の事ですか。将来の為になる事?もっと楽しい事?
 
でも少し待ってください。
将来の為になる事に時間を使うと言いましたが、将来の事に時間を使わなければいけないのはなぜなのでしょうか?いったいそれは誰が決めたのでしょうか?あるいは自分自身がそう思い込んでしまっているだけなのでしょうか?今の時間を将来の事の為に時間を使い続けるのであれば、今は永遠に未来の奴隷という事でしょうか?屁理屈でしょうか?(笑)
 
あるいは楽しい事の為に時間を使うのであれば、そもそも楽しいとは何でしょうか。私たちはなぜ楽しいと感じるのでしょうか。楽しいという感情は一体何を表しているのでしょうか?
 
哲学とはこういう事を考える営みです。
つまり、ある結果を生じさせている妥当な原因を認識する事です。
つまり先ほどの例でいえば、「今の時間は将来の為に使わなければならない」という観念を生じさせている妥当な原因を認識していく事や、「楽しい」という感情を発生させる妥当な原因を認識していく事です。
もう一つは物事に共通あるいは内在している普遍的な事、即ち真理と呼ばれるものを認識していく事です。
 妥当な原因を認識する事、普遍的な事を認識する事、この2つが哲学の営みの全てといってもいいです。
 
では実生活で何の役に立つの?という話ですが、哲学程、実生活で訳に立つ学問はありません。というのも、先ほど言った様に、哲学とは妥当な原因を認識する能力を必要としますから、哲学で身に着けた認識力はそのまま、実生活で生じる困難や障害を生じさせている妥当な原因の認識におおいに役立ちます。もう一つは、哲学とはあらゆる事に普遍的な事を認識する訳ですから、自分が認識した真理は、即、あらゆる事=つまり人生においても普遍的な事になるはずです。ですから、哲学が実生活に役に立つのは当たり前なのです。というか役に立たない訳がないのです。もし役に立たないのであれば、それは普遍的な事ではない=真理ではないというそれだけの事です。
 
前置きが長くなりました。
哲学とは基本はダイアローグ(対話)ですから、まずは由美さんと先生の日常的な?(笑)対話を通して、哲学=考える事の魅力を感じて貰えればと思います。
 
―とある学校の放課後にて
 
由美「先生、ちょっといいですか」
先生「はい、なんでしょう。」
由美「実は、相談があって、ここではちょっと話しづらい事なんですけど・・・」
先生「分かりました。ちょっと場所を変えましょうか」
先生「で、相談の内容は?」
由美「はい、えーと、、、その最近、友達の亜希と仲が悪くなってしまって。ここ最近は、一言も口をきいていません。私、亜希の事が憎くて仕方ないんです。、、自分でも正直、なんでこんなにイラついているのか分かんないくらいで、、もうほとんど発狂しそうなんです。もう先生くらいにしか相談できそうな人がいないんです。」
先生「えーと、由美さんは亜希さんと確か中学1年の頃からずっと友達だってよね、どうしてそんなふうになってしまったの?」
由美「それは、由美が私の好きな人を奪ったからです。由美は私の好きな人を知っていました。私は由美に恋愛の相談を何度もしていましたから当然です。でも由美は私の好きな人と付き合っていました。しかも私に黙っていたんです!信じられますか」
先生「なるほど。それであなたは、亜希さんを恨んでいる」
由美「そうです。」
先生「で、私に相談してきたと。」
由美「はい。」
先生「あなたは、私に初めに、なぜ自分がこんなに怒っているのかも分からないくらいだ、狂ってしまいそうだと言っていましたね。それを先生と一緒に考えていき、自分が怒っている事の妥当な原因を認識していきましょう。そうすれば、きっと怒りも憎しみの感情も随分と減らしていく事が出来るでしょうから」
由美「本当ですか先生、よろしくおねがいします」
先生「まずは、あなたは、亜希さんが、あなたの好きな人を奪ったと認識しています。果たしてこれは妥当な認識なのでしょうか?」
由美「当然です。亜希は私の好きな人を知っていましたから。」
先生「でも、あなたの好きな人とあなたは付き合ってはいなかった」
由美「それは、そうですけど、、」
先生「そもそも、他人と付き合うという事は奪ったり、奪われたりする事という認識は妥当なのでしょうか?他人は奪ったり、奪われたりするような単純な「モノ」ではないですよね。あるいは仮にモノだと考えていても、亜希さんがあなたの好きなものを知っていて入手した=あなたのモノを奪った、となるのでしょうか?」
由美「なぜですか?」
先生「こんなお話しがあります。むかし、あるところに一匹のキツネがいました。キツネはブドウが大好きで、ブドウの木の下でブドウを取ろうと必死にジャンプしていましたが、ブドウが高くてなかなか取れません。そこにもう一匹の背の高いキツネがやってきて、ひょいとジャンプしたかと思うと、キツネが取ろうと苦労していたブドウをいとも簡単に取ってしまいました。その調子で、木になっているブドウは背の高いキツネが全部取って食べてしましました。キツネはこう思いました。ボクはブドウが取れなかったからブドウを食べれなかったんじゃない。あの背の高いキツネがボクのブドウを奪ったから食べれなかったんだ!・・・そして、このキツネは背の高いキツネの復讐心にかられ、身も心もボロボロになって死んでしまったとさ。おしまい。」
由美「先生は私が、このキツネだって言いたいんですか」
先生「その通りだと思わないかい?だってキツネはブドウが食べれなかった原因を非妥当に認識しているだろ?キツネがブドウを食べれなかったのは、単にそのキツネにブドウを取るだけの能力が足りなかっただけなのに、キツネはブドウが取れなかった原因を自分の能力不足と認めたくないから原因のすり替えをしている。つまり、ブドウが取れなかったのは、あの背の高いキツネがブドウを奪ったからだ!と。同じ様に由美さんは、自分の好きな人を手に入れれなかった原因が自分の能力不足と認めたくないから、友達が私の好きな人を奪ったから付き合えなかったのだと原因のすり替えを行っている。つまり非妥当な原因の認識をしている訳だ」
由美「どうしてそんな酷い事を先生は言うんですか!」
先生「酷いも何も真実を述べただけだよ。それに何も君をいじめようとしてこんな事を言っている訳ではない。非妥当な認識が、君の亜希さんへの憎しみを生み出している原因であり、君自身を悲しませている原因でもあると言っているんだ。つまり、君は、好きな人と付き合えなかった妥当な原因を認識する事により、亜希さんへの憎しみの感情も減らす事が出来るし、これからどうすれば、いいかも見えてくるといっているんだよ」
由美「どういう事ですか?」
先生「非妥当な認識を有したキツネは憎しみの感情を抱き、身も心もボロボロになって不幸な人生を終えたね。じゃあ、もしキツネが妥当な認識を有していたらどうなっていただろうか。」
由美「どうなったんですか。」
先生「じゃあ、妥当な認識verの方を見てみよう。
むかし、あるところに一匹のキツネがいました。キツネはブドウが大好きで、ブドウの木の下でブドウを取ろうと必死にジャンプしていましたが、ブドウが高くてなかなか取れません。そこにもう一匹の背の高いキツネがやってきて、ひょいとジャンプしたかと思うと、キツネが取ろうと苦労していたブドウをいとも簡単に取ってしまいました。その調子で、木になっているブドウは背の高いキツネが全部取って食べてしましました。
キツネは横取りされた気持ちになり、背の高いキツネを恨みそうになりましたが、すぐにブドウが取れなかった悲しみを、他人に当たり散らそうとしているだけだと気づきました。
そうだ、ボクにブドウを取るだけの能力が足りなくて、あのキツネにはブドウを取る能力があった。それだけ事なんだと。つまり、ボクがするべきことは背の高いキツネに復讐する事ではなくて、自分が足りない能力を補う事なんだと。その日から、キツネは自分の身長の低さを補う為に毎日毎日、ジャンプの練習をしました。鍛え抜かれた足はついに、ブドウに届き、おいしいブドウをお腹いっぱい食べれるようになりましたとさ。めでたしめでたし。」
由美「・・・確かに、こっちのキツネの方が私は好きです」
先生「そうだろう。妥当な原因の認識を有する事は幸福へと繋がっている。なぜなら原因に対する正しい対処が行えるからだ。キツネがブドウが食べれなかった原因を友達のキツネがブドウを奪ったからだ認識すると、友達に復讐する事になってしまう。だけど友達にいくら復讐した所でこのキツネがブドウを食べれる事にはならないだろう。なぜならそれは妥当な原因ではないから。同じ様に、由美さん、あなたが好きな人と付き合えなかったのは亜希さんが奪ったからだと認識してしまうとあなたは亜希さんを恨んで復讐心を抱き、あなたの目標は亜希さんに復讐する事になってしまう。しかし、亜希さんに復讐した所であなたが好きな人と付き合う事にはならない。でも、自分の能力が足りなかっただけと妥当に認識する事が出来れば、魅力的な人間になれるよう、あなたはより一層努力する様になるだろう。そうすれば、もし、あなたの好きな人と付き合う事が叶わなくとも、これからの素敵な出会いがあなたを待っている事でしょう」
由美「それは、本当にそうですね。あれ、亜希に対する怒りの感情もなんかだいぶ無くなちゃいました。」
先生「それはそうですよ。亜希さんへの怒りは、好きな人と付き合う事が出来なかった悲しみの原因を非妥当に認識した事によるもの。妥当に認識した今のあなたが、亜希さんへの怒りを向ける必要はもうないのですから」