―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―精神と肉体は何を成しうるか

―精神と肉体は何を成しうるか
 
精神は自身を認識する。
いつから、私は私なの?
どうして他でもない、この私なの?
私はどうして私なのか・・・私には分からない。
 
私は私の事をよく知らないけれど
私には何が出来るのかという事は知っている。
私がどのような力を有しているのかという事は知っている。
 
今から、精神(魂)が有す能力、即ち、魂の本質を述べます。
精神(魂)は3つの事を成しえます。
 
1つは表象する力。表象力。一般的に感情、あるいは感性と呼ばれるものです。
自身(精神)の状態を表象します。
自身と、最も身近な存在である身体の状態を表象します。
自身(精神)と身体の有す能力が維持、向上している時には喜びを表象し
逆に自身(精神)と身体が有す能力が阻害、抑制されている時には悲しみを表象する。
自身(精神)と身体が有す能力の内、どの能力を発揮する事を今、一番欲しているのかを表象します。これが意欲です。(意思と欲望は同じものです)
自身の能力がどの様な状態にあるのかという情報は多ければ多いほど自己の能力の維持、向上に役立ちます。
愛とは、自己の能力を向上させるものの観念を伴った喜びの表象(感情)です。
逆に憎しみとは自己の能力を阻害させるものの観念を伴った悲しみの表象(感情)です。
 
2つ目は認識する力。認識力。あるいは理解力。原理、本質、真理(ロゴス)を理解する力です。一般的に理性と呼ばれるものです。
自身(精神)と身体の表象を認識します。
複雑なものから単純なものを見つけます。複雑なもの事から単純なもの事である原理、本質、真理をつかみます。
 
3つ目は創造する力。創造力、あるいは想像力。一般的に知性と呼ばれるものです。
認識力により手に入れた単純な原理を組み合わせ(応用して)複雑なもの事を作ります。
単純なものを組み合わせ複雑なものを作ります。
単に組み合わせるだけではありません。原理と本質を押さえているものは秩序と調和がとれた組み合わせをしています。表象力は、創造力の能力の状態も表象します。美しい、あるいは醜いという表象によって。美しいものを見ればそれだけ、自身の創造力も促進されるので美しさには喜びの表象を伴います。
 遊びとは創造力の発揮に他なりません。単純なもの事を組みあわせる、実験する、それが遊びです。例えば、「走る」、「仲間と敵」の組み合わせで鬼ごっこ、これに「ボール蹴り」を加えるとサッカー、「ボール打ち」を加えると野球となります。いろいろな組み合わせを試す、実験するという事は創造力の発揮に他なりません。
 
以上3つが、精神が有する3つの能力、即ち、魂の本質です。
 
次は身体が有する3つの能力、即ち、身体の本質を述べます。
身体は3つの事を成しえます。
 
一つ目は、運動する力。運動能力。
動かない身体というのはもはや身体と呼べない。どんな体であろうと動く能力を有す。
睡眠欲は身体の運動能力を維持、向上させる為の欲です。動かない事は動く為の準備であり、睡る事がが身体の運動能力を向上させている報告例はいくらでもあります。(レム睡眠は運動のシュミレーションを行っている可能性があります)又、睡眠は肉体の修復を行い、運動能力の維持に努める。
 
2つ目は、他の個体を同化させる力。捕食能力。同化力。
どんな体であろうと他の個体を自身に同化させる力を有す。様々な捕食する能力、吸収する能力、同化させる力を有す。この能力を発揮する欲望が食欲。そして捕食能力とはそれ自体が自己の能力であり、かつ自己の能力を維持する為の手段でもある。
 
3つ目は、自己の一部を異化する能力。自己から他の個体を生み出す力。生殖能力。
自己の不要となった一部を破壊(異化)して排出する。あるいは、自己から他の個体を作り出す能力を有す。その能力を発揮させる欲望が性欲。他の個体といっても、自己の能力を受け継いでいます。自己の本質は能力なので、能力さえ他の個体に受け継げば、生物は生きる事を放棄する事もある。能力を受け継ぐ過程で、能力が向上(進化)する事がある。即ち、生職能力とは、それ自体が自己の能力であり、かつ能力を向上させる手段でもある。
 
以上、3つが身体が成しうる事であり、身体の本質、即ち身体が有す能力である。
 
あらゆる存在は自己の能力を維持、向上させようと意欲する。
なぜならば、自己が有す力こそ、自己の本質であり、神より与えられた力であり、無限の力である神の一部であるから。
身体は自己の能力の維持、向上を欲しこれに努め、精神(魂)は自己の能力の維持、向上を欲しこれに努める。
そしてより強い者がより弱いものを従える様に、より強い欲望がより弱い欲望を従える。
あらゆる存在は神より与えられた自己が有す能力を維持、向上させる為に存在しているのである。
自己の能力が十分に発揮出来ている時、存在する事を幸福と感じるのである。
自己の能力が十分に発揮出来ないと諦めた時、生きる事を放棄する。即ち自殺する。自殺とは、自己の能力を発揮できない不自由な状態から自由になろうとして生じるのである。あえて言うが、自己の能力が維持、向上されている限り、自己は自ら生きる事を放棄はしない。
 
自己の能力を最大限発揮させている状態、即ち至福となる為には、精神と身体が何を成しうるのか、即ち、精神(魂)と身体が有す能力は何かを知る事がまず何よりも重要な事だと感じたのでここに記す事にした。
 
<まとめ>
精神(魂)は神より与えられた自己の表象力、認識力、創造力を維持、向上(進化)させる為に存在し、自己の能力を発揮する事を欲し、これに努める。
肉体(身体)は、神より与えられた自己の運動能力、同化能力、異化能力を維持、向上させる為に存在し、自己の能力を発揮する事を欲し、これに努める。
神は無限の力であり、能力こそ、ものの本質に他ならない。
あらゆる存在は神の無限の力の一部が顕現したものに他ならない。神の本質は無限であり永遠の力である。あらゆる存在が自己の能力を維持、向上させる事を欲し、これに努めるのは、神の無限であり永遠である力の本質に由来する。