―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―<私>の成立と人類の間にはいかなる関係性もない。

―<私>の成立と人類の間にはいかなる関係性もない。
 
考えてみて欲しい。
人類が一人しかいない世界を。その一人が<私>であるとは限らない。
普通に考えてみて、何十億人の内、たった一人の人間が私なのだから、たった一人の人間が私である可能性は宝くじに当たるより低い確率である事が分かる。
では人類が2人に増えたとする。しかし、その2人の内どちらかが私である可能性は極めて低い。むしろどちらも他人だろう。
では3人、4人、・・・と、どんどん人間を増やしていく、さぁどこで私は成立する?
100人?1万人?一億人?100億人?少し考えてみると分かるが、人類が増える事と、<私>が成立する事にはいかなる関係性も無いという事が分かる。同じく、もし今後、人類が進化して別の種になる事とも<私>の成立にはいかなる関係性もない。
つまり、<私>は物質や精神(魂)をいくら増やしたり、変化したりした所で<私>の成立とはいかなる関係性も無いという事。
人類が発生しようが、消滅しようが、<私>の成立にはいかなる関係性も無いという事。
<私>の発生には要因とか原因というものがごっそりと抜け落ちている。
ただ、無条件に無根拠に急に<私>は成立する。
つまり、全ての物質と精神(魂)を集めても<私>を作る事は出来ない。
<私>とは、物質でも精神でもない。<私>は物質とか、精神とかとは別の次元に属している。
なので、物質とか、精神(魂)とかが、消滅しても<私>の成立とは関係ない。
死が物質とか精神とかの変化であるとしても、<私>の成立とは関係ない。
物質や精神が生成、消滅しようが、<私>が在るのならば在るし、無いのならば無い。
物質や精神(魂)と、<私>にはいかなる関係性もない。
<私>の成立には、物質や精神以外の何かが関与する。
なので未だ、物質も精神も無い宇宙に<私>が存在していた可能性は十分にありえる。
故に<私>はただそれのみで存在する事が出来ると考えられる。
つまり<無限>
物質や精神が有限的存在であるとするならば、<私>は無限と考えられる。
有限の数である1(物質や魂)をいくら足しても(集めても)無限にはならない。
もし、1を足していき無限に達したのなら、それは、限りがあったという事であり、無限ではなく有限である事になるから。
逆に無限からいくら1(物質や魂)を引いても(消滅しても)無限である事に変わりはない。
もし、変化したのなら、それは有限であり、無限ではないという事になるから。
無限が奇数(物質)だとか偶数(魂)だとかいう事も出来ない。
もし奇数だとか偶数だとか決めれたのならそれは限りがあったという事になるから。
つまり、無限が在る事は分かる。しかし、それが何であるかは分からない。
所で、無限と呼べるものがもう一つある。宇宙だ。
<私>も無限と呼べるべき存在である事が分かった。
つまりここに来て<私>=宇宙が一致する。
つまり、<私>とはいかなる物質的、精神的内容ではなく
世界を成立させている形式。
世界を成立させているそのもの。
世界を開闢させる何か。
宇宙を発生させたのは140億年前のビックバンではない。
<私>が成立した事だ。<今>が発生した事だ。
<私>の成立が、真のビックバンといえる。
 
奇跡はもはや必要ない。
奇跡はすでに起きている。
<私>が存在するという奇跡が。