―存在とは何か

真理への飽くなき追究

死とは何か―医者と患者の対話

死とは何か―医者と患者の対話
 
患者「先生、診察の結果は・・・」
医者「ガンですね。胃がんです。」
患者「・・・先生、私は死ぬのでしょうか」
医者「何をいっているのですか。あたりまえじゃないですか。」
患者「・・・それは、つまり、もう体中に転移していて治らないという事でしょうか。」
医者「いや、そういう事ではありません。ガンでなくとも人は必ず死にます。どうも、あなたはガンでなかったら、自分は死なないと思っているようでしたので。」
患者「・・・なぜ、そんなひどい事を言うのですか。」
医者「ひどいも何もただの事実ですよ。あなたは、人間の最大の死因は何か知っていますか。」
患者「それは、・・・やっぱりガンじゃないでしょうか。次に脳梗塞や心臓病でしょうか」
医者「違います。全ての死因は生まれてきた事です。全ての出会いは別れと共に始まるように、全ての生は死と共に始まるのです。あなたは、生と死は別々の事だと思っているから、私は死ぬのか?などとバカな事言っていますが、死なくしてどうして生があるのですか。つまり生死一如です。」
患者「そうはいっても、生きていた方がいいじゃないですか」
医者「なぜ、死んだ事も無いのに、生きていた方がいいなんて言えるのですか」
患者「生きていることは、ただそれだけでいい事だからですよ」
医者「あなたは、死なくして生は無い事を認めますね。全ての生は死と共にあることを。」
患者「はい。」
医者「では、ただ生きている事がいいのなら、ただ死ぬ事もいいことになるのではないですか。」
患者「それは・・・」
医者「だだ生きているだけでいい事なんて、これ程、人をバカにした言い方ってないですぜ。ただ生きているだけでいいと言うなら、善く生きている人も、悪く生きている人も等しく同じだっておっしゃるのですか。ただ生きるなら、畜生だってオケラだってできるんだぜ。ただ生きるだけでいいなんて、これほどまでに、理性を持つ人間をバカにした言い方はないよ。真理を人の道とし、善を人の行いとし、美を人の心とする。つまり「真・善・美」これが善く生きるという事であって、生きる事が善いのは善く生きているからに他ならないのであって、ただ生きることは善い事にはならないに決まってるじゃない。」
患者「そうはいっても死ぬ事は怖いです」
医者「どうして、わからない事に対して怖がれるのだ。一体あなたは何に怖がっているんだい。」
患者「それは、他でもない、『私が』死ぬことです。」
医者「では、その君の言うところの、私って何か知っているのかい。それほど、私と言う確固たる存在がいるとでも思っているのかい」
患者「私は私です」
医者「はぁー、困ったなこりゃ」
患者「何がです。」
医者「いや、私が私といえるのはなぜなのか少しは考えたらどうか。」
患者「それは、・・・意識があるからです」
医者「つまり、あなたは、世界中のあらゆる自己意識の中で、どうしてか、ただ一つの自己意識を私だと言っているのですね。」
患者「そうです、他の人達の自己意識でなく、この自己意識が私です。」
医者「では、どうしてそれが、分かったのか。どうして、この自己意識が私だと分かったのか。」
患者「それは、他の人達の自己意識は現実的ではないけど、どうしてかこの自己意識は現実的だからです。他の人の痛みは在るけど、現実的ではない。リアリティ―が無い。でも私の痛みは現実的でリアリティーが在る。」
医者「つまり、現実性があなたの自己意識にはあるから、世界中に無数に存在する自己意識の中から、ただ一つの自己意識を選択して私と名付ける事が出来た」
患者「そうです。」
医者「では、逆に、もし、現実性がその自己意識に無ければ、世界中に無数にある自己意識から、どれが私の自己意識かを知る事も出来なかったという事だね。つまり全てが他者の世界だ。」
患者「そうなりますね。」
医者「つまり、現実性が無ければ、全てが他者の世界という事は、現実性こそが私の正体という事ではないか。」
患者「肉体でもなく、自己意識でもなく、現実性こそが私・・・」
医者「そう。もっといえば、現実性が与えられなければ、そもそもあなたの世界は成立しない。現実性が無い世界とはつまり全てが他者の世界。他者の自己意識からどうやって、世界を見る事が出来る?感じる事が出来る?不可能だ。つまり現実性が無い他者の自己意識だけの世界とは、世界が無いのと同じ。逆に言えば、他者の自己意識なんか無くても現実性とただ一つの自己意識が在れば世界は成立する。世界の成立に、世界の内容なんて関係ないのだ。逆に言えば、現実性とは、世界を成立させる形式であって内容ではないと言う事だ。現実性と、ただ一つの自己意識さえあれば世界は成立するのだ。」
患者「という事は、つまり、現実性という世界成立の形式は世界の内容とは関係ないという事ですか?」
医者「それは当たり前だ。世界が成立した後、初めて世界の内容が変わっていくのであって、逆はない。つまり、世界のいかなる内容も、世界成立の後に生じる事であって、いかなる世界の内容も、世界の成立には関係ない。つまり、世界成立の形式である現実性とは、いかなる世界の内容とも関係ないという事。所で先ほど、現実性こそが私だと同意したね。そして現実性は世界の成立に関わる事だと。所で、死とは世界の内部で起こる、世界の内容の事だね。つまり、世界の内容である死が世界成立に影響を与える事など不可能ではないか。内容は、世界成立の後に生じる事なんだから。内容は形式に影響を与える事は出来ない。つまり、死は現実性に影響を与える事はできない。現実性こそが私である。であるから、死は私に影響を与える事は出来ない。とまぁ論理的に考えるとこうなるんだ。」
患者「現実性こそが世界成立の条件であるなら、現実性は何によって与えられた、もしくは生じたのでしょうか。つまり、世界成立以前を問うているのです。」
医者「いや、これがさっぱり分からないんだよ。いや、分からないことが分かるというのかな。もう、神と発語したくなる領域だよ。だって、世界成立以前の事を考えても、それは世界成立後の世界の内容の一部だろう。世界の内部は、世界成立の後の出来事なんだから、どこまで世界成立以前を考えた所で、やっぱり世界成立の後の出来事の一部になってしまって世界の内部に吸収されちゃうんだよ。世界の外部にいくら出ようともがいても、世界の外部自体がそれを拒むように広がっていく、もしくは、世界の内部に落とし込まれるとでもいうのかな。つまりどんなにもがいても現実性の外部には出る事は出来ない。すべては現実性の内部の出来事にすぎないんだ。内容は内容であって、形式の外に出る事は不可能なんだよ。ま、それでも、いやだからこそ、考え続けるんだけどね。」
患者「なるほど。つまり、私の死とは正確には、現実性の消滅という事ですか。」
医者「そうです。世界の内部で生じる、肉体の消滅が、世界の成立である現実性に影響を与える事は不可能であって、肉体の死とはつまり、命を落とす、落命というべきであって、現実性の消滅である、本当の死と区別する必要があります。そして現実性の消滅こそが私の本当の死です。」
患者「では、現実性はどうやって消滅するのでしょうか。」
医者「現実性の付与は世界成立以前の出来事であると言いました。つまり、世界の内部ではなく、世界の外部である所の、つまり「神」と発語したくなる所のものから生じると考えられます。であるので、現実性の剥奪もまた、世界の外部である所の「神」のごときものから生じるのであって、間違っても世界の内部、つまり肉体の消滅、「落命」によって生じるのではありません。落命した所で現実性には一切影響を与える事はできないので、私は生きています。逆に言えば、私の消滅とは、世界の外部より、神のごとき者によって付与、剥奪されるものなので、今この瞬間に現実性のみが剥奪される可能性は十分に考えられます。その場合どうなるかというと私が他者になるのです。仮に、私から今この瞬間、現実性のみが、世界の外部から剥奪されたとすると、自己意識はそのままで、現実性のみが消滅するので、ただ私が他者になる。痛みはあるが、現実的には無い。見ているが現実的には見えない。他者の見えているものを見えない、感じているものを感じれないように、ただ、世界が閉じます。現実性は世界成立の形式だったので、その形式の消滅は、即、世界の消滅です。世界の内容に一切影響を与えることなく消滅します。仮に私の自己意識から現実性が消滅しても、あなたにとって、私の自己意識は初めから他者なので、私の自己意識から現実性が奪われ他者の自己意識になった所で、自己意識の内容、記憶等には一切の影響も与えないので、あなたは、私の自己意識から現実性が消滅した、つまり、私の世界が消滅した変化に気付く事はできません。これこそが、私の死というものであって、真の死です。真の死は、世界の内容に影響を一切与えることなく、私が他者になる、つまり、現実性が剥奪され、世界が無くなるという事です。その事に誰も気づかない。知っているのは、現実性を剥奪した神だけです。故に死を恐れるなど無駄なのです。死んだ時には、恐れる事が出来る私も世界もないのですから。ですから、私は死を恐れる事よりも下劣に生きる事を恐れます。」
患者「所で、私が生まれて死ぬ、これは一体なんなのでしょうか。」
医者「だから、これがもうさっぱり分からないのです。私が生まれて死ぬ事、正確には、現実性が在りそして無くなる事、つまり世界が成立し、そして消滅する事、これは何なのか。生と死の大謎です。存在と無の大謎です。意識とは何か?存在とは何か?私とは何か?生きて死ぬとは何か?という問はすべてこの現実性の謎が絡んでいるのです。そしてこの現実性の付与こそ、まさに世界を開闢させる真のビックバンでもあり、世界の内部のいかなる法則や規則といえども、全て世界の内部の出来事である以上、現実性による世界成立無しにはありえないのですよ。」