―存在とは何か

真理への飽くなき追究

対立物とは何か―対立物の一致と非対等性について

対立物とは何か―対立物の一致と非対称性について
 
マイナス×マイナス=プラス
であるのに
プラス×プラス=マイナスでないのは、なぜなのか。
プラス×プラス=プラスになるのは、なぜなのか。
 
対立物は一致するが、対立物には非対等性があるからではないのか。
一方はただそれのみで存在する事が出来る優位性を有しているのに対し、もう一方は、ただそれのみでは存在出来ない劣等性があるからではないのか。
 
そもそも、対立的なものが生ずるのは、ただそれのみで存在する事ができる優位性を有した、あるもの「A」から隠れた性質が現れたものが、対立するもの「B」と言われているものであり、もともと同じものであるから、一致するのは当然ではないのか。
 
例えば在る(プラス)がまず、あるから、無い(マイナス)を考える事が出来るのであって、そもそも『在る』が無ければ、『無い』を考えるという事など不可能ではないか。
『在る』はただそれのみによって存在する事が出来るが、『無い』はただそれのみによって『在る』事は出来ない。(無を証明する時、「無は在る」と在るに依存しなければならないが、在るを証明する時、「在るは在る」と無に依存する必要性はない。故に在ると無いは非対等であり、在るに優位性がある。)
無いは在るの隠れた裏の性質の一部である為、
無い(マイナス)は無い(マイナス)=在る(プラス)になる。
しかし、在るはただそれのみで存在する事が出来る優位性を有している為、
在る(プラス)は在る(プラス)=在る(プラス)になる。
 
あらゆる対立物はこのように、まず、「ただそれにみによって存在出来る優位性」を有した、あるもの「A」の裏の性質が現れたものが対立するもの「B」であり、裏の性質はただそれのみによって存在する事は出来ず、必ず、優位性を有した、あるもの、「A」によって生じ(分離)、また、一致(還元)する。
 
対立物の一致と優位性(非対等性)について、いくつかその例を述べる。
 
1、真実と嘘の対立物の一致と優位性について
ただそれにみによって存在出来る優位性を有するもの・・・真実
優位性を有するものにある隠れた性質・・・嘘
 
そもそも、真実とは何か。嘘とは何か。
真実とは、「そうだと思っている事を述べる事」であり
嘘とは、「そうだと思っていない事を述べる事」である。
つまり、そうだと思っていないことを述べるには、そうだと思っている事が何だか知っていなければ、そもそも嘘をつく事などできない。
つまり、真実を知っているから嘘をつけるのであって、真実を知らなければ嘘はそもそもつく事は出来ない。
嘘は真実の隠れた裏の性質の一部である為、裏の裏を返せば表となる。
つまり、嘘の嘘をつくと、真実を告げる事になる。
嘘をつくとは「そうだと思っていないことを思わせる事」である。
嘘の嘘をつくとは「そうだと思っていないことを思わせない事」=「そうだと思っていることを思わせる事」=真実を述べる事となる。
このように、嘘は真実なしには存在する事は出来ない。嘘も真実の隠れた性質の一部であり嘘は真実に組み込まれている。嘘は真実に内包されている。
真実(嘘)。
故に嘘×嘘=真実となる。
しかし、真実はただそれのみによって存在する事が出来る優位性を持つ。
故に真実×真実=真実となる。

2、雌性と雄性の対立物の一致と優位性について
優位性・・・雌性
雌性の隠れた性質の一部・・・雄性
まず、ここでは物質学的説明である事を断っておく。(であるのも、男性、女性であるかによって精神的優劣を述べている訳ではないから。純粋精神において男性も女性もない。2×3=6である事に、男性、女性によって解が異なるという事はありえないから。真理が普遍である事は、全ての精神が普遍性を持つからであるか。精神と物質については後程。)
 
雌性はただそれのみによって存在できる優位性を有しているのに対し
雄性はただそれのみによって存在する事が出来ない。
どこに、女から生まれてこなかった男がいるだろうか。
どこに男から生まれた女や男がいただろうか。
雌性のみの生物は存在するが雄性のみの生物は存在しない。
雄性とは雌性が有する隠れた性質の一部であり、生物学的にも、受精した胎児は全て女であり、そこから、女性か男性かに分かれていく。
生物は系統発生を繰り返すと言われているが、もともとあったのは雌性であり、雌性の性質の一部が雄性であろう。
 
3、引力と斥力の対立物の一致と優位性について
優位性・・・引力
引力の隠れた性質の一部・・・斥力
引力の力は一律ではなく、距離や引力の種類によって力の差がある。
力の差がある引力同士が集まると、くっつきあいやすいもの同士、くっつきにくいもの同士が生じる。このくっつきにくいもの同士に生じる現象が斥力と呼ばれるものであって、引力の力の差によって生じる引力の隠れた性質の一部であるか。
ab     cd   
引力同士が集まり引力の差により変化が生じる
a    bc   d
この時ab間とcd間の引力よりbc間の引力が強かったのでbc間が引き合った結果、見かけ上、ab、cとdの間で斥力が生じたように見えるだけで、実は引力の隠れた性質の一部ではないか。
ただ在るだけで引き合う。
引力はただそれのみによって存在する事が出来る。
だから重力なるものがあるのではないか。
一方斥力は引力の隠れた性質の一部である為、ただそれのみによって存在する事は出来ず、必ず引力を必要とする。
であるから、ただそれのみで反発するようなものはないのではないか。
 
4、善と悪の対立物の一致と優位性について
優位性・・・善
善の隠れた性質の一部・・・悪。
善を為すものは「善いから善いのだ」と言うだろう。
悪を為すものは「誰にに迷惑かけないから善いではないか」という。
つまり、悪を為すのも、善いと思っている事でないと出来ない。
であるから善は善それにみによって、存在出来るが、悪は悪それにみによって存在する事は出来ない。
つまり、善を行うものは広く普遍的な善を目指すが、悪を行うものは小さな、個人的な善を目指す。悪を行う者は、実は欲深い様に見えて、欲が浅い。目指すべきである所の終わりである『善』が小さい。宇宙は、もっと欲深く、究極の『善』という目的に向かって突き進んでおり、森羅万象、万物、生成の目指すべきところの終わりは究極の『善』である。
そこに至ったとき、活動は停止するのか、または終わりなのかは分からない。
つまり、善の普遍的、局所的な差が悪に映るのであって、悪も、善の隠れた裏の性質の一部となる。
 
5、精神と物質の対立物の一致と優位性について
優位性・・・精神
精神の隠れた性質の一部・・・物質
およそ、精神の活動によらず、物質を認識する事は不可能あろう。
物が無くても、精神があれば認識する事は出来るが、物が物のみによって認識する事は不可能である。(夢の中で、実際にコップはなくてもコップは触れる。精神がコップを創造したのだ。夢の外でコップがないのにコップを触ることが出来るか。物質はコップを創造したりしない)
感情、意欲、言葉、意味、価値観・・・みえざるものがみえるものを動かす。
まず先にみえざるものが変化し、その後にみえるものが変化する。
感情、意欲、言葉、意味、価値観・・・みえざるものを一切もたず、物質である所の肉体のみがただ自動機械のように動かしているものが一人としているだろうか。
つまり、精神は精神それにみによって存在する事が出来るが
物質は物質それのみによって存在する事が出来ない。
つまり、物質とは、精神の隠れた裏の性質の一部ではないか。
 
この他にも、物質学で言えば、物質と反物質の一致と非対等性や粒子と波の一致と非対等性・・・等など、対立物は一致し、かつ優位性(非対等性、非対称性)である例はいくつもあるが、それらは、「ただそれのみによって存在できる優位性」を有した「A」の隠れた裏の性質が現れたものが対立するもの「B」であり、優位性を有した「A」に依存して「B」は存在する事が出来る。
つまり、対立物とは何か。それは
「ただそれのみによって存在できる優位性」を有すA
Aの隠れた性質に依存し、ただそれのみでは存在する事ができない劣等性」を有すB
2つから構成されている。
 
あるもの「A」は分離し「AB」になり、そして一致して「A」になる。しかし、対等に分離しない。故に運動が生じる。
運動とは、ただそれのみによって存在する事が出来る「A」の有する性質の一部が分離した「B」との自己離還相互運動。