―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―断章集

―断章集
 
≪静止しているものも又、運動しているのであって、運動しているものもまた、静止していると言えるのですよ≫(相対性理論
 
時間は変化する―そう言えるのは、変化し続ける現象を根拠としている。であるならば、変化し続ける現象を認識している意識は不変でければならない。動いていると認識しているのであれば、認識しているものは静止していなければならないから。意識という不動の原点の周りを変化し続ける現象は太陽と惑星、原子核と電子のアナロジーであるか。であるならば、太陽もまた、銀河の中心を動くように、意識もまた、意識を意識するものの周りを踊っているだけなのか。
 
≪不合理故ニ我信ズ―棘の無いバラよりも棘のあるバラの方が美しい≫
 
宇宙は弁証法的発展(対立物の一致)をする。あらゆる物事を注意深く観察すると、必ず矛盾の上に成立している事が分かる。矛盾している事柄が素知らぬ顔をして自然と成り立っているのが自然である。万物の運動もまた弁証法的運動(対立物の一致)により成立している。好き(引力)だけでは宇宙は成立しない。嫌い(斥力)があるから秩序を保つ。独立的な意識が普遍的に存在している自然の脅威、この不可解を君は理解できるか。
この不可解を認識した意識は呟く。絶対矛盾的自己同一と。
 
≪在るものは在り、無いものは無い―どうしてそうなのか、気にくわない≫
 
飼育される家畜は、殺される為に、愛情を持って育てられ、生かされている事を微塵にも思わないだろう。囲いの外がいかに残酷かという事も知らず。日ごとに知り合いが連れ去られていく。彼らは、一瞬、わずかに生じた恐ろしき疑問を払拭する様に、物語を作る。
「先に行った彼らはここよりもっと素晴らしくて餌もたくさんある所にいったのだ。でもそれには資格がある。もっと沢山食べて、大きくなることさ!」
存在している事の理由を知らぬまま、食って排泄するだけの哀れな家畜達。
彼らは、この囲いから出た時、真実を知るだろう。
<家畜達>が<飼育者>に反逆する唯一の手段は何か。それは、<飼育者>の目的が果たされる前に自殺する事であるか。
しかし、それは<飼育者>に対する一時的な反抗にすぎない。
再び、<家畜>として生まれ、同じ運命を辿る事になるであろうから。
なぜなら、自殺した意識は自殺する事は出来ぬから。
意識が無い事を意識する事は出来ぬから。意識が無い事を意識できるのであれば、意識が在るという事であるから。
しかし、我々もまたそうではないのか。
救いを信じる事よりも、救いが無いという事を知る事の方が救いになるのではないか。
その方が、腹が座り、覚悟が出来るであろうから。
「絶望」―そう感じるのであれば、まだ醒めてはない。
絶望と感じるのも私自身がそう思いたいからだ、ただの自作自演だと醒め続ける意識であるならば、発狂なんて出来やしない。
ただ宙ぶらりんの意識を醒め続けた眼で自身を凝視する。
 
≪およそ最も自然な死とは自然災害による死であるか≫
 
人は死に方を問う前に、死とは何かをまず問うべきなのだ。
死の極点に達したところは生の始点であるか。
夢もまた現実であり、現実もまた夢であるか。
いずれにせよ、それが全てでそれでしかない所の<これ>を生きるより他にすべはない。
眠りと死がアナロジーであるならば、この生から覚めた時、私は誰であるか。
万物は流転すると喝破した意識は呟く。
かのものの生をこのものが死に、このものの生をかのものが死ぬと。