―存在とは何か

真理への飽くなき追究

疑い得ぬ事を語る―正誤の彼岸

疑い得ぬ事を語る―正誤の彼岸
 
―真理の定義
・正しさや誤りの彼岸に立つもの
・疑う事が出来ぬ領域
・偽りと思う事が出来ぬ領域
 
―正しさと誤りの定義
・正しさと誤りはどちらも同じものであり、自身が思うている程度の差の事。
・人間が言う「正しい」とは、自身が思うている事と一致する事。
・人間が言う「誤り」とは、自身が思うている事と一致しない事。
・故に人間は嘘をつく事は出来るが、正しい事を誤りとする事は出来ない。
・嘘とは自身が思うている事を思うていないように振る舞う事。逆の言い方をすれば、思うていない事を思うている様に振る舞う事。
・正しい事を誤りとする事が出来ないのは、自身が思うている事と一致している事を自身が思うている事と一致しない事と理解する事がそもそもどういう事か人間には分からないから。絶対矛盾を理解する事が出来れば、自身が正しいと思う事を誤りと思う事は可能。(全能の神は可能)
 
―勝利の笑み
・嘘の嘘とは、思うている事を思うていないように振る舞う事を振る舞う事、逆の言い方をすれば、思うていない事を思うているように振る舞う事を振る舞う事。
・嘘を嘘と見抜く事、虚構を虚構と見抜く事は認識の勝利の笑みが伴う。
・あらゆる笑いは、認識の勝利の笑みである。
・ピエロ(喜劇役者)とは、観客に認識の勝利をプレゼントする者の事である。
・即ち、ピエロ(喜劇役者)は観客にも(誰にでも)分かる様な、嘘の嘘を提供する。
 
―疑う事が出来ぬ領域、正誤の彼岸へ
・正しさ、誤りとはどちらも自身が思うている事であるが、自身が思うている事と一致する事が正しさの定義であり、自身が思うている事と一致しない事が誤りの定義であった。ではこの両者に共通する事は何か?それは『思うている事が在る』と言う事である。
・即ち、正しかろうが、誤りだろうが、絶対確実な事は、『思うている事が在る』という事である。よし、君たち双方の言い分は分かった、確かにどちらが正しくて、どちらが誤りかを判断する事は難しい、でも、君たちに『思うている事が在る』という事は絶対に正しい事であろう。だから、今回はどちらの意見が正しいかではなく、『思うている事が在る』という事を真理としよう。『思うている事』は正誤の彼岸(真理)に立つ『存在』である。
・『思うている事が在る』事は、疑う事が出来ぬ領域であり、偽りと思う事が出来ぬ領域である。
・即ち、『思うている事が在る』事以外は全て疑いの対象となる。世界が1分後に消えてなくなるのではないか?物が突然無くなる、生じるという事もありえるのではないか?世界が5分前に生じたと言う事も言えるのではないか?ビックバンも宇宙も地球も人間も無いのではないか?―ありとあらゆる事は懐疑の対象となる。
・人間も地球も宇宙もビックバンも全て疑い得る事である。即ち人間も地球も宇宙もビックバンも無くても、確実に在ると疑う事が出来ぬ事、それが、『思うている事が在る』という事である。
・宇宙が生まれるより前には何があったのか。宇宙が消滅した後には何が残るのか。それは『思うている事が在る』という事である。
・思いは、超越的存在といえる。
・存在とは思いである。
・我思う、故に思い在り。