―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―知識の断片(数に対する誤診etc)

―知識の断片(数に対する誤診etc
 
戦争と平和について
・善悪の価値観から脱しない以上、争いは生じる。善悪の価値観とは自分にとって利益となる事が善い事という誤診に基ずいているので、視点の変更、状況の変化で、善にも悪にもなる。
・作り事の国家間の作り事の価値観に基ずく、戦争や平和などの外事に捉われ、自分自身を見失う事の愚かさ。
・世の中の事など追いかけてもしょうがないのだ。
・不変の真理にこそ価値が有る。
・変化するものに価値はない。もし金が錆びやすく、ダイヤモンドが柔らかければ今ほど価値は無いだろう。
・情報とは変化するものである。ゆえに情報に価値は無い。
・数か月、数年で忘れてしまうようなマスコミや世の中の事など、追いかけてもしょうがないのだ。
 
―恋愛に対する偶像崇拝
・恋愛とは何か素晴らしいものだと崇められているが、恋愛の本質は、支配欲。
・恋の語源は物乞いの「乞い」が→「恋」に変化したものであるように、ただひたすら欲しようとする卑しい、所有欲、支配欲にすぎない。
・結婚とは、異性へ強烈な支配欲を法により保護し、守るシステムであると同時に一夫一妻制は、支配欲の暴走である、嫉妬や妬みなどの社会秩序の混乱を避ける為の社会に秩序を与えるシステムでもある。
・根本的に一緒にお互いがいたいのであれば、居ればよいし、一緒に居たくないのであればそれでいいだけの事である。
・結婚により、相手を縛りつけると言う事は、同時に自身も縛り付けられるという事を自覚せよ。
 
―同情を求める者と同情する者
・同情を求める者は、自身の不幸を見せびらかし、自身の不幸により、相手を支配しようとする者。
・同情する者は、恩着せがましく、ここぞとばかり、弱った相手を、優しやいたわりという甘い蜜を与える事により、支配しようと企む者。
たまたまこの両者が出会った時、しばしば滑稽な劇が始まる。
 
―目標や目的を持つ事の愚かさ
・人間の欲望とはとめども無く、求める事によって、得る事はあっても、決して潤う事はなく、むしろ余計渇きを覚え、とめども無い欲求の連鎖が生じる。
・幸福を求める事が、すでに不幸の始まりでありる。
・逆説的であるが、幸福とは求めない事により初めて訪れる。
・すで大いなる自然、宇宙から驚愕すべきもろもろを受け取っていると言う事に気づいた時、すでに満たされていると言う事に気づく事が、幸福と言う事である。
・即ち、欲望を求めるのではなく、欲望とは何か?…本質を捉えよ。
 
―数に対する誤診
・似たような物事を同じ物とする非論理的な構造の元に成り立つ概念。即ち「数」という誤診。
・同じ物など何一つとして無いのだから、「足す」と言う事は不可能である。
1+1=2→× a→←b=ab
・即ち、この世界を構築する理論は、異なる物事同士の引力による『相互作用の法則』に基ずく、『部分集合の法則』のみが働いている。(斥力は引力同士の間に見られる現象であり、全ては引力で説明可能)
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・同様に電荷の+と-というのはどちらも同じ性質の物であり、引力の事である。力の向きが異なるだけであり同じものである。向きが異なる事により+と-等と異なるものが有るように錯覚しているだけであり、どちらも同じ力の事である。+と+は反発し合うと言うのは正確ではなく、ちょうど引力の向きが逆同士なだけである。
・同じものなど何一つないのだから足すという事は不可能であるから引くという事も不可能である。正しくは集合物と集合物との引力相互作用により生じた、分散である。
a→←bc→←dab  cd
・世界に同じものなど何一つ無いと言える根拠
・私と他者は同じ人間という概念のカテゴリーにおいて一様に同じものとされているが、私と(あなた、彼、他者)は全く異なる在り方をしている。
・今、ここで私は分裂し外的に全く同じ似た人物が2人いるとする。
しかし、この純粋な精神現象を体験しているのは私だけ。
しかし、外的な身体の特徴はまったく同じにも関わらず、私とこのそっくりな人物は全く異質な存在である。この純粋な精神現象を体験しているのはただ私だけだという点において。
・しかし、第三者の視点から眺めれば、どちらも、同じ様に意識、感情を持っている様に見えるし、同じ考えを持っている様に思える。しかし、思えるという事は、推測であり、正確には同じとは決して言えないという事である。
・私と分裂したそっくりな人物のまったく同じ脳の箇所を同じ様に刺激する。
・私と分裂したそっくりな人物は「イタミを感じた」と言い痛みを感じたように行動したとする。
・しかし、私の痛みの感じと分裂したそっくりな人物が、私と同じような痛みの感じを受けているとは断言できない。私の痛みの感じはヒリヒリする痛みであるのに対し、分裂したそっくりな人物はチクチクする痛みかもしれない。かりにヒリヒリする痛みだといっても、まったく同じとは言えない。純粋な精神現象の経験は言葉で正確に記述する事が不可能であるからだ。
・第三者からあなた達2人は区別出来るものではなく全く同じ人物だと言われても、断固それを私は拒否する。まったく同じだから、あなたには消えてもらってもいいよね?もうひとりの「あなた」は生かしてあげるから、と言われても断固拒否するだろう。なぜなら、現実的に純粋な精神現象の経験の点において私と分裂したそっくりな人物はまったく異なる存在からだ。
・同様の事は、素粒子のレベルにおいても言える事である。外見的にまったく同じでまったく同じエネルギー、運動量、スピンのをもつ2つの素粒子を同じと断言する事は出来ない。素粒子における純粋な精神現象が外見的に同じ2つの素粒子間において異なると言う事が言えるからである。素粒子が純粋な精神現象を持つはずがないと疑う者は、我々人間は素粒子の部分集合である事を自覚せよ。
 
―異なる物事を同じ単一の物事とする誤診。
・「私」というのは存在しない。
・「私」とは正確には概念であり錯覚である。
・あるのはもろもろの純粋な精神現象だけであり、様々な異なる精神現象をひとまとめにし、「私」という存在は捏造された。
・どこを探してもあるのは純粋な精神現象であり私を見つける事が出来ない。
・私は存在しない。ゆえに他者も存在しない。
・無我に気づいた時、自然、宇宙と一体である事に気づく。無我、故に全我。
・外的な評価や、名声、に捉われるのは、捏造された「私」という誤診に基ずく。
・「私」の存在同様に、「今」というのも誤診でである。
・「今」は概念にすぎず、今は何処を探しても無い。
・過去や未来というのは、想像と思考に基ずく純粋な精神現象であり、錯覚にすぎない。
・過去や未来は無い。つまり今も無い、時間も無い。
・時間は無い、つまり速度も無い、空間も無い。
・物質がA点からB点に移動したという誤診。動くとは、同時に静止でもある。即ち、A点とB点が移動し、物質は静止のままとも言える。
・物質が存在するという事に対する誤診。
・物質とは、「私」の存在同様に、様々なもろもろの純粋な精神現象をまとめて、1つとする誤診に基き捏造された概念である。
A精神現象+B精神現象+C精神現象+・・・→物質という概念の捏造
・しかし、A精神現象も様々なもろもろの精神現象をまとめた1つにした誤診に基ずく。
単に「痛み」という精神現象一つをとっても、まったく同じ痛みの感じというのは無く、ずきずきする痛み、チクチクする痛み、焼かれるような痛みなど様々な精神現象の部分集合であることが分かる。
a精神現象+b精神現象+c精神現象・・・→A精神現象の捏造。
・そしてa精神現象も様々なもろもろの精神現象をまとめて1つにした誤診に基ずく。
v精神現象+vv精神現象+vvv精神現象・・・→a精神現象
・さらにv精神現象は様々なもろもろの精神現象の部分集合である。
・この累進構造は何処まで続き、循環し、流転している。部分と集合というのはどちらも同じものであり、流転の中に在る。
・まったく同じ最小の精神現象というのは無い。同じ精神現象は何一つ存在せず、あらゆる精神現象が唯一無二の存在であり、唯一無二の精神現象の部分集合により生じた「私」という存在も唯一無二である。