―存在とは何か

真理への飽くなき追究

愛とは何か?―聖人はこういった

愛とは何か?―聖人はこういった
 
ある人里離れた森の中にひっそりと聖人が暮していた
真理を求めた青年は聖人を訪ね、こう尋ねた。
青年「私は愛とは何か、ただそれのみを知りたい。私は愛というものが分からないから、人を愛するという事がどういう事なのか分からないです。ゆえに人を愛する事も出来ないのです。愛とは何ですか?」
聖人はこう言った。
「あなた達が言っている愛とは支配欲、所有欲の事だ。
家族愛、隣人愛、性愛、知への愛、
全ての愛は、支配欲、所得欲の事だ
自らの支配欲、所得欲を満たす為に、愛と言う名で偽造し、
それらの欲望は愛という名で市民権を得た。
あまつさえ、あたかも大衆の中で、最も素晴らしいものとさえ崇められている。
 
だが、ふたを開ければ、何て事はない、個人のただの支配欲、所得欲を満たす為の方便だ。
優しさ、いたわり、共感、施し、慈愛、それらは、全て、相手を支配し所有する為の手段であり、自分の思い通りに支配し、所有出来ないとなると憤慨し、苦悩する。
それは、あたかも飼い犬に手を噛まれた主人の様である。
 
隣人愛、家族愛、性愛、知への愛、すべて支配欲、所得欲だ。
慈善家、同情家の活動もしかり。
彼らは弱った相手を見つけると今がチャンスだとばかりに
ハチの巣をつついた様に飛び出してくる。
彼らは、弱った相手にやさしさ、思いやり、慈愛という蜜を与える代わりに
相手を支配し、所有しようとする。
彼らは愛に飢えているのではない、支配欲、所有欲に飢えているだけなのだ。
 
しかし、一度手に入り、自分の物となると、つまらないと感じ
ふたたび新しい物を求め探し出す。
 
愛と言う名で自分の醜い欲望を隠し、愛は世界を救う等とふざけた事ばかり言う
偽善者は飼い犬に手を食いちぎられたらいい。
彼らは、愛を与えていた飼い犬に噛みつかれた事に驚き、憤慨するだろう。
 
小利口な奴の同情や施し、優しさやいたわりや愛のささやきなど反吐が出る。
それらは全て、支配欲、所有欲の醜い塊である
その様な、愛や同情、一切を私は拒否する。
 
愛し、愛される事を望むという事は
支配し、支配される事を望むという事であり
所有し、所有される事を望むと言う事だ。
 
仮に、自分の愛が支配欲、所有欲で無いとするなら、
愛した相手が、自分に支配、所有される事に甘んじ
自分に支配、所有される事を望んできた場合、それを拒否してみよ。
飼い犬が自分にすり寄ってきた場合、それを拒絶してみせよ。
 
自分が相手を愛しても
決して相手を支配、所有しようとせず、
自分が相手から愛されても
自分が相手の支配、所有となる事を拒む者
そのような者こそ、真実の愛を備えた者だ
 
そしてそのような者の間でしか
真の愛情と友情は生まれない。
 
故に私は
愛する事を拒絶し
愛される事を拒絶する
愛を尊重し
愛を守り
真実の愛を実行するが為に。」
 
聖人はこう言った。