―存在とは何か

真理への飽くなき追究

生と知について―聖人はこう言った

生と知について―聖人はこう言った
 
ある人里離れた森の中に一人の聖人が暮らしていた。
真理を求めた青年は、聖人を訪ね、こう尋ねた。
青年「私は、世の中から必要とされる存在でありたい。あなたは、私と違って、世の中の人から必要とされているのにも関わらず、こんな所でひっそりと暮らしている。どうすれば、あなたの様に、世の中から必要とされる存在になれるのか?」
聖人はこう言った。
「あなた達は己の内から神を追い出した。
そして新たな信仰を始めた。
あなた達は、人間は理解され、認められ、必要とされる事が一番大切だと信じ込んでいる。
その為には黄金の供え物が必要だとも教え込まれている。
あなた達は、あらゆるごみをあさって、どんな小さな利益も見逃さない。
しかし、それは誤った信仰だ。
あなた達は、自身の信仰への熱で、その身を焦がし、他者をも焦がす。
 
理解されたいから、他者に理解を示し
認められたいから、他者を認め
必要とされたいから、他者を必要とし
愛されたいが故に、他者を愛する。
 
しかし、それは偽りの愛だ。
それは偽りの信仰だ。
それは底抜けの器だ。
 
底が抜けているとも知らず、注ぎ続け
底が抜けていたとも知らず、朽ち果てる。
彼らの渇きは永遠に潤う事はない。
刹那の潤いを得るが、満たされる事は永遠に無い。
 
自然を見よ!
自然は理解されたり、認められたり、必要とされることを一度として望んだ事があるか。
ただ在るがままに在るだけではないか。
 
自然は自由だ。
ただ自由にその生を遊ぶ。
遊ぶ事、それ自体が目的であるように
生きる事、それ以外に目的も、意味も価値もない。
生きる事とは遊ぶ事だ。
 
私は遊んでいる様に見えるだろう。
私は生きているのだ。」
 
聖人はこう言った。
 
青年はまたこう尋ねた。
青年「どうすれば、あなたの様に賢くなれる、知恵を得る事が出来るのだ?」
聖人はこう言った。
「なぜあなたは智恵を得ようとする。
あなた達は、知識を世界への理解ではなく、己の欲望の実現へと利用する。
知を冒涜するな!
知を蔑む者よ。
知が泣いているのが分からないのか
 
あなた達は知識を得る程、馬鹿になる。
知識を得るほど、醜くなる。
知識が悪いのではない。
あなた達の魂が醜いからだ。
 
無垢な赤子ほど真理に近い者はいない
知識人と呼ばれる者ほど真理に遠い者はいない
 
多くの事を中途半端に知るくらいなら何も知らない方がまだましだ。
何もかも分かったふりをするくらいなら、何も知らない馬鹿者のふりをする方がまだましだ。
 
およそ知ろうとする限りは誠実であれ
つまり、過酷に、厳密に、狭く、残酷に、血も涙もなく。
 
深淵から目をそらすな
深淵をしかと捉える者こそ勇気ある者だ。
そして真理は勇気ある者にこそふさわしい。」
 
聖人はこう言った。