―存在とは何か

真理への飽くなき追究

これがニーチェだ―『ニーチェと社会学者の対話』

ニーチェ社会学者の対話
登場人物
 
社会学者「近年、ますます、恐ろしい殺人が増えています。いったいこれはどういう事か?
特に、未成年の犯罪が急増しています。おそらく、暴力的なゲームなどが、若者の善悪の価値基準を変えているのでしょう。恐ろしい世の中ですまったく。」
ニーチェ「で、君はどうしたいのかね?」
社会学者「ですから、もっと、根本的な政治改革を行う事によって、高度情報化社会において、正しい情報を若者たちに発信するのです。すなわち愛を伝えるのです。彼らは愛を知らず、愛に飢えている故の異常行動なのですから。」
ニーチェ「あははは。君は本当に面白いね」
社会学者「何がおかしいのです?」
ニーチェ「まさか君は、若者に道徳的である事を説いているのではあるまいね?」
社会学者「何を言っているんですか?私は道徳を真に愛する者です。この素晴らしい人間の徳を、未来ある若者に説くのは当たり前ではないですか。私が常にその様に思える事こそ、まさに私が道徳的である事の証明なのですよ!」
ニーチェ「君が言う道徳的とはどういう事なのか?」
社会学者「いいですか?道徳的であるという事は、『私利私欲ではなく、相手の気持ちになって行動する』、まさにこの事なのですよ。」
ニーチェ「なるほど、所でなぜ他の人が私利私欲で相手の事を考えずに行動したらダメなのかね?」
社会学者「何でそんな当たり前の事を聞くのです?もしもすべての人間が、私利私欲で他人の事を考えずに行動したら、社会がメチャクチャになるでしょう?」
ニーチェ「社会がメチャクチャになる。それで?」
社会学者「いや、社会がメチャクチャになったら困るでしょう。平気で殺人や窃盗が行なわれる、それでもいんですか?」
ニーチェ「つまり君は、社会がメチャクチャになって、殺されたり、盗まれたりするのが嫌なんだね?」
社会学者「そりゃ、誰だって嫌でしょう」
ニーチェ「つまり、君もそうだと」
社会学者「ええ、私も例外なく」
ニーチェ「つまり、君は自分が、殺されたり、盗まれたくないから、他人に道徳的である事を述べているという事になるな。つまり、他人に私利私欲で行動するのは悪い事だと説いておきながら、自らが私利私欲で行動しているという事になるではないか。違うかね?」
社会学者「・・・・なんて酷い事を言うんだ!」
ニーチェ「いや、私はただ、事実を述べただけだよ。他人に道徳的である事を求める人は道徳的では無いというね。本当に道徳的な人は、他人に道徳的である事を求めない人さ」
社会学者「では、あなたはどうなんですか?あなたは社会がメチャクチャになって、殺人や窃盗が平気で行われる社会になってもいいとでも言うのですか?」
ニーチェ「別に私は構わないさ。殺人や窃盗について私は善いとも悪いとも言わない。ただそれは必然的に生じた事実にすぎない。その事実に対し、私はいかなる解釈もしない。」
社会学者「あなたに道徳という物は無いのですか?」
ニーチェ「道徳とは、弱者のルサンチマンだよ。つまり、あるがままの事実に対し、あるがままに受け入れる事が出来ないから、解釈、物語を作って、その物語や解釈のなかで自身を強者に仕立て上げようとする、醜い行いだ。道徳とは、強者になすすべもない弱者が行なう醜い抵抗さ。私はそんなもの美しいとも素晴らしいとも思わない。あるがままに事実を受け入れる事が出来ない奴の自慰行為なんぞクソくらえだ。」
社会学者「・・・あなたみたいに反道徳的な人は初めてですよ。あなたなんか地獄に落ちて神に裁かれてしまえばいいんだ。」
ニーチェ「神を冒涜するのか!!愚か者!ただ、弱者にとって都合のいいように仕立て上げた下らない神など私がこの手で殺す!ただあるがままの事実、必然の連鎖により生じる偶然、つまり『存在』こそ私が信じる神だ!」
社会学者「・・(ダメだ。この人は狂ってる。)」
ニーチェ「君は、おそらく、幼い頃から、道徳的である事を教えてこられたのだろう。だがそれは、君が道徳的でない事により生じる害悪を恐れた大人たちの利己的な行動なのだ。かわいそうに、そうともしらずに」
社会学者「・・うるさい、黙ってくれ!」
ニーチェ「おそらく、人間にとって最も害悪なのは記憶だ。過去の記憶が今の意思に影響を与え、過去に縛られ、今を生きる事が出来なくしているのだ。過去の記憶を持たない人間以外の動物のなんと生き生きした事か。彼らには過去や未来などの虚像はなく、ただ実在する『今』それのみにより全力で生きている。だからあれ程、生命に満ち足りているのだ。人間は記憶がある限り、その生を過去と未来に縛られ『今』を生きる事無く朽ち果てる運命なのだ。」
社会学者「なんと!あなたは、人間の優れた記憶力を冒涜するのですか?」
ニーチェ「記憶こそ、醜い争いの元ではないか。人間にとって最も醜いのが復讐心である。記憶があるから、『恨みははらさでおくべきか』となり争いは繰り返されるのだ。」
社会学者「それでは、愛する者を殺された方は泣き寝入りしろとでもいうのですか?殺した者は殺したことなど忘れて平気で生きていてもそれを受け止めろと?」
ニーチェ「殺した、殺された、それは端的な事実、真実である。人間は自分の意思で何かを為す事は出来ない。すべては為されるのだ。意思があるのではなく、意欲が起きたのだ。
起こしたのではなく、それは端的に『起きた』のだ。そこにいかなる意思も介在しない。殺そうという意欲が生じたのは偶然でなく、必然であり、殺さないという選択肢もあったが殺したのは、なぜか?そこに意味は無い。すべての意味は起きた行為の後付けの解釈である。その人が殺し、その人が殺されたのは、必然である。彼らは無限回に人生をやり直したとしても、無限回に同じ人生を歩まされる事になる。」
社会学者「それが、あなたの言う『永遠回帰』という事ですか」
ニーチェ「そうだ。すべての偶然と呼ばれる物は必然の繰り返しにより生じている物なのだ。ゆえに、そこに自由な意思は介在しない。すべては必然であるが故に、そこに意味も価値も無い。端的な事実があるだけである。必然であるが故に、同じ人生を無限回に繰り返す事になる。その現実、真実を受け入れる事が出来ない弱者が解釈や宗教という物語に逃げ込むのだ。」
社会学者「そんな考えは狂ってる!あなたは宗教を神を否定するのか?」
ニーチェ「弱者の都合のいい解釈により生じた宗教も神も一切を私は否定する。ただあるがままに在る、存在する事実、これは必然である。存在こそが私が信ずる『神』だ。」
社会学者「そーですか。あなたは、全てを無条件に受け入れろという残酷な人だ。それを殺された人の前で言えるのか」
ニーチェ「真理は人間の為にあるのではない。真理とは残酷な物なのだ。故に、人間の主観で語られる真理と呼ばれる物を一切否定する。」
社会学者「では人間の為にならない真理をなぜあなたは求めるのですか?」
ニーチェ「だから、何度も言っているだろう!愚か者!真理を知りたいという意欲は起こしたのではなく、起きただけなのだ。偶然という名の必然だと!理由も意思も価値も無い!そんな物、存在の神にでも聞け!」
社会学者「えー分かりました、やはりあなたはどうしようもない狂人だという事が。」
ニーチェ「論理によってのみ生きる者は狂人と呼ばれるのだからそれも仕方ない。真理の前では個人の私など無いに等しいのだから。」
社会学者「まーせいぜい頑張って下さい。それではさようなら」