―存在とは何か

真理への飽くなき追究

ソクラテスと哲学者の対話(魂について)

ソクラテスと哲学者の対話
登場人物
哲学者
 
哲学者「おお、哲学の祖、ソクラテス、お目にかかれて光栄ですよ。」
ソクラテス「ボクだってそうさ。なんせ、きみの噂はかねがね他の者達から聞いていたからねえ。ずいぶんの知者だとか。ボクは君と対話できる日を心まちにしていたのだよ。」
哲学者「いや、私なんて、あなたに比べれば、足元にもおよびませんよ、ソクラテス。」
ソクラテス「いや、ボクは何も知らないという事をしっているだけさ。さぁさぁとりあえず、真理を追究する者同士、話し合おうじゃないか!」
哲学者「そうしましょう!ソクラテス。ところで、あなたは今、真理と述べましたが、真理とは何だと思われますか?」
ソクラテス「おお、なんという質問を君はボクにたずねるんだい!でも、すぐれた友よ、君の為とならば僕も答えぬわけにはいくまい。」
哲学者「ええ、そうです。どうぞ遠慮なさらずおっしゃって下さい。」
ソクラテス「では、述べてみよう。真理とは最善の事である。つまり、真理とは最も善い事だから、最も善い事が真理なのだ。」
哲学者「何にとって最も善いのですか」
ソクラテス「すぐれた友よ。それは『魂にとって』最も善い事なのだ。」
哲学者「するとあなたは魂という物をご存じなのですか」
ソクラテス「なにを言っているんだい君は!魂こそが、全てではないか」
哲学者「おっしゃている事がよくわかりかねないのです。どうぞ、もうすこし、詳しく説明して下さい。」
ソクラテス「そうしよう。では、聞くが、君は何かが在るといえるのは、その何かを感じたり考えたり出来るからに他ならないのではないかね?」
哲学者「と、言いますと?」
ソクラテス「つまり、この石ころが在ると言えるのは、この石ころを感じたり、この石ころについて考えたり出来るからだ。」
哲学者「ええ、もっともです。」
ソクラテス「逆に、この石ころを感じたり、考えたり出来なければ、この石ころが在るとは、我々は言いようがないのではないかね?」
哲学者「言いようがありません」
ソクラテス「それは、この石ころだけでなく、りんごや、靴、ボク自身やありとあらゆる物について言えるのではないかね?」
哲学者「そのようですね」
ソクラテス「つまり、感じたり、考える事ができなければ、あらゆる物は存在するとは言えない事になるね」
哲学者「はい」
ソクラテス「所で、感じたり、考えたりするのは魂の働きだね」
哲学者「私もそのように思います。しかし、中には、感じたり、考えたり出来るのは、脳の働きだと述べる者達もいる事はご存じですね?ソクラテス。どうか、そのように述べる者達の為にも、感じたり考えたり出来るのは魂の働きだと言う事を説明なさってください。」
ソクラテス「うむ、ちょうど、ボクもいまその事を述べようとしていたところなのだ。」
哲学者「それならば、説明なさってください。どうして考えたり、感じたりする事が脳の働きでなく、魂の働きなのかを。」
ソクラテス「よしきた、それでは、聞くが、物は重さがあったり触ったりする事ができるかね?」
哲学者「どうして出来ない事がありえましょう」
ソクラテス「脳も、触ったり、重さがあるかね」
哲学者「当然、そうだと言えるでしょう」
ソクラテス「では、脳とは物質といって間違いないかね」
哲学者「ええ、間違いありません」
ソクラテス「では、僕が先程、言ったことを覚えているかね。あらゆる物は感じたり、考えなければ存在しないと言ったことを。」
哲学者「覚えていますとも」
ソクラテス「つまり、脳も物質であるなら、脳について感じたり、考えたり出来なければ存在しない。」
哲学者「ええ、そうなります。」
ソクラテス「あれ、という事は、もし、感じたり、考えたりするのが脳だとした場合、かりに物質である脳を感じたり、考えたり出来なければ脳は存在しない事になるが、これは矛盾する事にならないかね?なぜなら、感じたり考えたりするのは脳だとしたら、脳は確実に存在する事になるけれども、もし、脳を感じたり考えたり出来なければ、脳は存在しない事になるからね。」
哲学者「でもそのような心配はする必要はないのではソクラテス。なぜなら、現に脳という物質は感じたり、考えたり出来るのですから」
ソクラテス「いや、君がそう述べるのは承知していたよ。でももう少し、ボクの説明を聞いてみてくれるかい?」
哲学者「ええ、もちろんですとも!ソクラテス
ソクラテス「だが、実の所、感じたり考えたりするのが脳ではないというのは、先程のようなまわりくどい説明はする必要はなかったのだ」
哲学者「と言いますと?」
ソクラテス「いいかね?僕たちは先ほど、脳とは物質であるという事に同意したね?」
哲学者「しました」
ソクラテス「所で、感覚と呼ばれる物、すなわち、香りや、視覚や音色、寒さや熱さなどの感覚その物に対して触れたり、感覚その物に重さはあるかね?」
哲学者「いえ、感覚そのものに対し、触れたりする事はおろか、物のように重さが在る訳でもありません」
ソクラテス「それは、考えそのものに対しても言える事かい?」
哲学者「言えることです」
ソクラテス「つまり、感じたり、考えたりするそのものに対して触れる事も出来ないし、それらは重さもない」
哲学者「はい」
ソクラテス「つまり、感じたり考えたりするそのものは、物質ではない」
哲学者「ええ、それはもちろんです」
ソクラテス「ならば、先程、脳は物質だという事に同意したのだから、感じたり、考えたりするそのものは脳では無い事になるね。」
哲学者「今までの話からするとそうなりますねソクラテス。では、先程、私たちが同意した様に、あらゆる物は感じたり考えたり出来なければ存在しないならば、そのあらゆる物を存在たらしめる、考えたり感じたりするそのものとは一体全体なんなのですか?」
ソクラテス「それこそがキミ、ボクが『魂』と呼ぶものだよ」
哲学者「なるほど、では初めの私が『魂とはなにか?』とあなたに質問させて頂いた答えは、感じたり考えたりするそのものであるという答えで間違い無いですか?」
ソクラテス「いや、さすがといった所だよ、まさしくそう言って間違いないだろうね」
哲学者「というと、魂を存在たらしめている物はなんでしょう?魂があらゆる物を存在たらしめているならば、魂は魂自身によって存在しているのですか。もしそうだとしたらおかしな事になりそうですね。なぜなら、何かを感じたり考えたりするそのもの自体を感じたり考えたりするのは不可能でしょうから。」
ソクラテス「いや実にキミは素晴らしいね。つまり、何かを感じたり考えたりするそのものを感じたり考えたり出来るというのは矛盾しているから不可能だ。なぜなら、魂は何かを感じたり考えたりするそのものであると定義したのだから。感じたり考えたりするそのものであるという定義上、それは、物質でもないし、感覚や考えでもない。つまり感じたり、考えたりできる物ではないのだからね。」
哲学者「では、魂とはなぜ、存在する事ができるのです?先程、我々は同意したはずです。何かが存在といえるのは、その何かを感じたり考えたり出来なければならないと。しかし、今、魂は感じたり考えたりするそのものであるという定義上、感じたり考えたり出来る物では無いとも同意されました。つまり、魂は感じたり考えたり出来ないので存在しない事になりますが」
ソクラテス「それはだね、魂こそが、『始原の1』だからだよ」
哲学者「始原の1とはなんですかソクラテス
ソクラテス「いいかね、こんな話があるだろう?神は万物を創造されたという話をキミは聞いた事無いかね?」
哲学者「ええ、そのような神話はいたる所にあります」
ソクラテス「ここで、では万物の創造主である神は誰から作られたのか?という問いをするのはばかばかしいと思わんかね?」
哲学者「と、いいますと?」
ソクラテス「仮に、万物の創造主である神は、万物の創造主であるから、神を作る事も可能なわけだ。つまり神は神を作る事も可能なわけだね?」
哲学者「万物の創造主であるならそうなりますね」
ソクラテス「では、神が神をつくったのなら、一番初めの神は誰が作ったのかね。」
哲学者「うーん。どうも、一番初めの神は誰も作るという事が不可能なようですね。なぜなら、仮に別の『何か』から作られたと言っても、ではその『何か』は何から作られたのかと問題を先送りにするだけなのですから。」
ソクラテス「優れた友よ、ボクの言いたい事を見事に君は説明してくれたものだね!つまりだ、万物の創造主は何物にも依存することなく存在する、絶対的な存在と言えないだろうか?」
哲学者「つまり、生み出されたり作られたり、何かによって存在するのではなく、初めから何物にもよらず、存在したという事ですね!ソクラテス
ソクラテス「そうだ、初めから何物から作られる事も無く、生み出される事もなく、それのみによって存在した。ぼくはこれを『始原の存在』、『始原の1』と呼んでいるんだ。」
哲学者「始原と言うのは分かりましたがなぜ『1』なのですか?」
ソクラテス「君は万物と言うくらいだから、あらゆる物が世界には存在する事を認めるかね?」
哲学者「ええ、それはもちろん、宇宙は無限大ともいいますからね」
ソクラテス「それらを数字で表すと2であったり、100であったり、今君が言ったように無限∞とも言える」
哲学者「ええ、仮に、11つの種類の物にそれぞれ数字を決めればそれは途方もない数になるでしょう」
ソクラテス「所で、あらゆる数は1を足していけば、その数になるよね。212回たせば2になるだろうし、10100だって同様に。1を何度も足せばいつかは∞になるね。」
哲学者「ええ、それはもちろん」
ソクラテス「つまり、初めの1さえあれば、あらゆる数を作れる訳だね」
哲学者「そうです」
ソクラテス「ボクが魂が『始原の1』だと言ったのもそういう事なのだ。僕たちが同意した事をもう一度振り返ってみよう。まず、あらゆる物は、感じたり考えたり出来なければ存在する事は出来ないのだった。そして感じたり考えたりするそのものは、定義上、物でも感覚や考えでも無いのだった。そして感じたり考えたりするそのものを魂と呼ぶ事にしたのだったね。」
哲学者「ええ、間違いありません」
ソクラテス「そして、魂は感じたり考えたりするそのものであるという定義上、物でも感覚でも考えでもありえないのだから、魂自体を感じたり考えたりする事は出来ない。つまり、感じたり考えたりする事なしに存在できるものだとも同意した。」
哲学者「ええ、そうです」
ソクラテス「つまり、何物にもよらずに存在できるという事は、何物にも作られず、何物からも生み出されず、ただ存在するとしか考えられないのだった。そして現に今、感じたり考えたり出来るという事は、始原から魂が存在していたという証明にもなる、違うかね?」 
哲学者「いや、まさしく、今こうして我々が感じたり考えたりすることが出来ている以上、魂が始原から、絶対的に存在した事の証明になるように思われます。」
ソクラテス「では、あらゆる物は感じたり、考えたり出来なければ存在出来ないのだとしたら、感じたり、考えたりするそのもの、つまり仮に魂と呼ぶものが存在するから、万物は存在していると言ってよいだろうね?」
哲学者「ええ、問題ありません」
ソクラテス「つまり、始原からただ絶対的に存在する魂が1として、あらゆる物を存在たらしめていると言う事にならないかね?」
哲学者「そうなります」
ソクラテス「つまり、100だろうが、1000だろうが∞だろうが、初めの1が無ければ存在出来ないように、あらゆる物も初めの1である魂がなければ存在出来ない。」
哲学者「はい。」
ソクラテス「つまり、結局万物は、初めの1である魂の部分集合なのだから、万物は魂であるといっても問題ないだろうね。ただ、それが3であるか100であるか1000であるかの違いの様に、1がいくつ集まっているかの違いにすぎないのだからね。」
哲学者「ああ!なんとあなたは、全てが魂である、つまり世界は魂の部分集合であると述べられるのですね!」
ソクラテス「違うかね?始原の1なしには存在出来ないのだから、あらゆる物は始原の1に依存して存在する。つまり絶対的に存在するのは1だけなのだから、あらゆる物は1の部分集合、つまり、魂の部分集合であるといってもよいのではないかね」
哲学者「いや、今の私に異論はありません。しかし、また、異論があれば、話し合いたい所です。」
ソクラテス「いや、異論は大歓迎だよすぐれた友よ。」
哲学者「ええ、それではまた話合える事を楽しみにしていますソクラテス。」