―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―ソクラテスと釈迦の対話

ソクラテスと釈迦の対話
 
ソクラテス「やあ、こんにちは。」
釈迦「友よ。こうして巡り会えた『縁』に感謝する」
ソクラテス「ああ、僕も嬉しいよ。所で君は悟ったと言っているらしいけど、悟るとはどういう事だい?。」
釈迦「悟るとは『悟りなど無い』という事を知る事である。」
ソクラテス「あーそうなの?僕は何か真理が分かった事なのかと思ったよ。」
釈迦「『真理など無い』という事が真理だ。そういう事だから、真理を知ったと言えば知った事になるし、知らないと言ったら知らない事になる。」
ソクラテス「なんだ、それなら何も言ったことになっていない。つまり分からない、『無知の知』、ボクと同じかー」
釈迦「いや違う。分からない事が分かったのではない。分かるという事が無いという事が分かったのだ。」
ソクラテス「ふーん。そうなの?でも分かる事が無いという事が分かったのだったら、やっぱり分かっている事になるけど?つまり何も言った事にならない。分かっていないじゃないか。」
釈迦「それは、おぬしの無知の知も同じだろうて。知らない事を知っているとは、やっぱり知らないという事ではないか。」
ソクラテス「うーん。」
釈迦「ようはどちらでもよいのだ。どちらかでないと気が済まない。それが人間の沙我である。しかし、本来自然とはどちらも同じ物なのだ。対立する物など無いのだ」
ソクラテス「ふーん。ボクは常々、ただ人が生きる事に価値はなく特別善い事ではない。故に人生とは魂を磨く修行である。つまり、損得でなく、善悪で行動し、善く生きる事のみが生きる事が善い事になる、と説いているんだけど、善悪は対立しない物なのかい?」
釈迦「対立などしない。どうして人が自ら悪いと思う事が出来よう。善人はもちろん、悪人と呼ばれる者でさえ、自分が善いと思える事しか出来ないのだ。つまり、自然と同様、自然物である人間も、善い事しか出来ないのだ。善と悪とは対立する物では無く、同一物の表と裏なのだ。」
ソクラテス「なーんだ、『正・反・合』ボクの得意とする産婆術と同じじゃないか。」
釈迦「万物一切無対立。」
ソクラテス「じゃあ、生と死も対立するものでないと君は言うのかい?」
釈迦「対立などしない。生も死も同一の裏と表である。故に生きてもいないが死んでもいないのだ。」
ソクラテス「死んでもなく、生きてもいないと言う事は、君は生や死が何か知っているのかい?」
釈迦「生や死など『無い』という事を知っておる。」
ソクラテス「知らないのではなくて?」
釈迦「知らぬ。生や死など無い。生や死とは人間が作り出した生や死という『言葉』それ以上でもそれ以下でもない。おぬしは元々無い、生や死などを自ら作って、分からないと嘆いておるだけだ。しかし、分かるはずがないのだ、そんな物、元々無いのだから。」
ソクラテス「無いとは『無』とういう事かい?」
釈迦「『無』だ」
ソクラテス「所で人間は何かを感じたり、考えたりする事で在る事を認識する事を認めるかい?」
釈迦「然り」
ソクラテス「じゃあ、何かを感じたり考えたり出来ないとそれは無い事になる」
釈迦「然り」
ソクラテス「無い物は感じたり考えたりする事が出来ない」
釈迦「さよう」
ソクラテス「つまり『無』は無い。君は『無』だと言ったけど、『無』は無いじゃないか」
釈迦「無は無い。あらゆる事が無いのだから、無も無い。当たり前の事だ。」
ソクラテス「無は無いという事は、つまり在るしかないという事かい?」
釈迦「さよう。在ると無い。これは対立する物では無く、同一物の表と裏なり。即ち一切無対立。」
ソクラテス「なるほどね。という事は宇宙は無だと言う事になるけど?」
釈迦「さよう。宇宙は無限である。そして無とは無が限りないので無限である。即ち宇宙は無である。」
ソクラテス「僕たちも無い?無は『無い』から『在る』。僕たちは在る。そういう事かい?」
釈迦「さよう。無は区別出来ず、境界を引く事も出来ず、差別する事も出来ず、対立させる事も出来ず、意味も無く、価値も無い。」
ソクラテス「真理も善悪も生死も美醜も正誤も無い?」
釈迦「一切無区別無差別無境界無意味無価値無対立。」
ソクラテス「でもそう考えているこの考えは在るよね?我思う故に我あり。」
釈迦「考えも無い、思いも無い。我も無い。即ち精神も無い、物質も無い。無は無い。無故に我あり」
ソクラテス「それが無の境地、悟るという事かい?」
釈迦「だから、悟りは無い。人間という物は本来区別、境界、差別、対立、意味、価値が無い物を区別し、境界を引き、差別し、対立させ、意味を付け、価値を持たせる。」
ソクラテス「つまり、ぼくたちは区別出来ない物事を言葉で区切っているだけと言う事かい?」
釈迦「さよう。我々が名づける○〇現象や、原因や結果、意味や価値など、人間が勝手に区別し、境界を引き価値を作り出したに過ぎない。元々、無い価値を自ら作りだし、自ら作り出した価値に苦悩する、これを普通、『愚か者』という」
ソクラテス「ああ、それはボクもわかるよ。お金なんてただの紙切れなのに、それに価値を自分で作り上げて、その価値に自ら苦しんでいるもんな。この前、紙がないから、あれで尻をふいたら、みんな驚いていたよ。おかしいったらありゃしない。」
釈迦「言葉というのは、不思議な物である。本来無い物を在るように見せ、分からない事を分かったかの様に思わせる詐術である。」
ソクラテス「そうだね。みんな自分の事を○〇という名前の事だと思ってるもんな。名前を付けて自分の事を分かったふりをしているけど、本当は自分の事なんてわかっとらんのだ。」
釈迦「それを分かる者は、言葉で語らずに、言葉を語らない事で語ろうとする。」
ソクラテス「語ったとたん、『騙る』事になるもんなー。分かる者には語らなくても分かるけど、分からない物には語るしかない。でも、言葉は語った途端、嘘となるから…あーあ、やっぱり語らない方がよかったのかなー」
釈迦「もう、これ以上は語るまいて。」
ソクラテス「そーだね、真理は言葉では語る物でなく、行動で語る者だからね。即ち『知行合一。』」
釈迦「無為自然。それが一番である。」
ソクラテス「ああ、そうだね・・・」
釈迦「然り・・・」
ソクラテス「だよね・・・」
釈迦「・・・」
ソクラテス「・・・」