―存在とは何か

真理への飽くなき追究

物質の生成と魂の生成について

―物質の生成と精神の生成。
・物質は真空エネルギーからt×Eh/2π(不確定性原理)の範囲で生成し、消滅する。そして、どんな物質が、どちらのスピンの向きで、どの方向に、どのタイミングで生成するか分からないが、エネルギー保存の法則により、必ず、生成したら消滅するというのは確実である。
・では、人間の精神の生成、即ち魂の生成はどうか?物質の生成同様に、真空には物質エネルギーが存在する様に、精神エネルギーなる物が存在していると仮定する。(私は、宇宙の約半分を占める、観測不能の暗黒エネルギーは精神エネルギーであると想像している。)
精神エネルギーから、魂が生成するとする。物質の生成同様、どのような魂がどのタイミングで生成するかは分からない。ゆえになぜ私はこの魂であるのか?なぜ私は、彼でも彼女でもなく、この私なのか?という問いは魂の生成のタイミングと、どのような魂が生成するかは、物質の生成と同様に分からない。さて、人間は生まれたら100%死ぬ。つまり、物質の生成には必ず消滅が伴い、真空のエネルギーが保存される様に、魂の生成には、必ず、消滅が伴い、精神エネルギーが保存されると思われる。つまり、元々私の魂は精神エネルギーであり、死んだとき、無くなるのではなく、精神エネルギーに戻る。つまり、生と死は存在の状態の一部にすぎない。決して魂は無から生まれ無になるという訳ではない。そもそも在るが無い、無いが在るというのは絶対矛盾であり、不可能である。在る物は在る。無い物は無いのだ。精神エネルギーから生まれた私の魂は再び精神エネルギーに戻り、またいつか、別の魂になる日を夢見るのだ。
 
―苦痛、快楽、に価値はない
・苦痛、快楽は生存する為の手段だ。
・なるほど、栄養価の高い食べ物を摂取するのは生存率が高くなるので、そのような行動を促進させるために快楽を得る。
・なるほど、体の損傷は、生存率を下げる為に、そのような行動を抑制する為に苦痛を得る。
・なるほど、セックスの快楽は、子孫を残す、行動を促進させる手段となる。
・さて、快楽は生存の手段である。
・生存する事は価値がある。
・故に、快楽は価値がある。
・これが、快楽至上主義者の主義であるが、はたして本当か?
・生存する事に価値があるという主張は成り立っているのか?
・なぜ生存する事に価値があるのか?
・生きていれば楽しい事があるから?
・楽しい事とは快楽の事だ。
・なるほど、先程、快楽は生存の手段であると言ったが、生存するのは快楽の為とは本末転倒だ。快楽が生存する事の手段ではなく、目的になっているではないか。
・なるほど、なぜ生きるのか?と問われると当然、快楽の為、楽しむ為、となる訳だ。
・しかし、快楽と苦痛という物は、相対的な物であり、絶対的な物ではない。故に、快楽は相対的な物であるので価値は無い。
・喉が、渇いている時にのむ、水は快であるが、特別、喉が渇いていない時に飲む水は快では無い。腹が減っている時の食事は快であるが、腹が一杯の時の食事は苦痛だ。絶対的な物でないという事は普遍的では無いという事だ。つまり変化する物という事だ。変化する物にどうして価値があるのか。柔らかいダイヤモンドに価値があるだろうか?錆やすい金や銀に価値があるだろうか?価値が有るというのは、時間によって変化しない価値であるという事だ。
・なるほど、快楽に価値はない。でも、なら快楽は生きる為の手段であるとするなら、生きる事には価値がある。ゆえに快楽に価値はあるではないかというだろう。
・しかし、生きる事は価値であるとも無いともいえない。どちらでもないのだ。
・なぜなら、我々が生まれたのは、なぜかよく分からない。両親がしかるべき行為をしたからというのは理由にはなっていない。両親の精子卵子が結合して、生が誕生するのは両親の意思ではないからだ。そしてその両親が生まれたのも同様に両親の意思ではない。
つきつめると、宇宙から、我々は誕生した事になるが、ではその宇宙がなぜ在るのか、なぜ生まれたのかもよく分からない。宇宙は無から生まれた、ビックバンだ、CPT対称性の破れだなどという物質の生成の宇宙論はあるが、その物質や宇宙論を認識し、存在たらしめているのは、感じたり、考えたりする精神に他ならない。つまり、精神の生成や、精神はなぜ在るのかという答えが分からなければ、物質の生成、宇宙論も虚構である。科学の限界は、物質しか扱えないという所にある。しかし、物質は精神なしには存在は出来ないのだ。何かが在るという時、それは感じたり、考えたり出来る物だ。感じたり考えたり出来ない物は無い。感じたり考えたり出来なければ、無い。物質は精神なしでは存在出来ない。精神は脳だ、という答えはその答え自体が矛盾している。脳は、触れるし、重さがあるし、原子で構成されている物質である。つまり脳は物質である。精神は触れられないし、重さもないし、原子で構成されてもいない。つまり精神は物質ではない。つまり物質と精神は異なる物だ。つまり、物質である脳と精神は異なる物だ。ゆえに脳は精神ではない。
・つまり、人間は宇宙から生まれた。
・宇宙が生まれたのはよく分からない。
・なので宇宙が存在する事は価値かどうか分からない。
・ゆえに 人間が生まれた事も価値かどうか分からない。
・人間は善い事は価値があり、悪い事は価値が無いという事を知っている。
・つまり、人間が損得や苦楽でなく、善悪で判断し、善を行なえば、人間が存在する事に価値が生まれ、悪を行なえば、人間が存在する事に価値はない事になる。

・人間の善悪は絶対的な物だ。苦楽の様に時間によって変化する物では無い。善い事は善い。悪い事は悪いのだ。己の欲の為に、人を傷つけたり、盗むのは悪い事。困った人を助けたり、人にやさしくするのは善い事。2500年前の古典を読む限り、これは変わっていない。善悪は変化しないのだ。いつの時代でも普遍的な物。だから価値がある。

 
参考文献 ロゴスに訊け 池田 晶子