―存在とは何か

真理への飽くなき追究

死への恐怖は持つだけ無駄!

―死への恐怖は持つだけ無駄!
・死ぬと言いう事は、肉体が死ぬという事は理解できる。しかし、精神が死ぬ事とは限らない。精神は、脳の神経細胞の働きによる生じるものだから、肉体の死=精神の死でもあるのだ、という説明は正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。
・つまり、分からないのだ。死んだ者にしか、死は理解できないのだから、生きている者が、いくら死の事について語っても、何の説得力も無い。戯言を言う人には、それは本当ですか?あなたは死んだ事があるのですか?と聞き返してやればいい。
・つまり、肉体が死んでも、「私」、則、精神が死ぬとは限らない。分からない事に対し、ただ恐怖を抱き、何もせす、今を生きないのは、人間の堕落だ!
・あした、地震が起きるかもしれない、明日、車に引かれて死ぬかもしれない…予測出来ない不確定な未来の出来事を、想像し、心配するのは時間の無駄。過去や、未来に生きるのではなく、今を生きろ。
・死んだっていいじゃないか、死んだらどうなるかはその時分かる。どうなるか分からない事を心配する暇があったら、今を全力で生きろ!
・そもそも、人間は生まれた瞬間から、死に向かって突き進んでいくのだ。それが、少し、早くなるか遅くなるか、その程度の差ではないか。
未来とは予測不可能である。科学はある程度、未来を計算して未来を予測する事が出来るが、必ず、不確定な要素を含む為、完全に未来を予測する事は出来ない。つまり、科学とは、完全な物ではなく、「現時点において、もっとも妥当な解釈」にすぎず、絶対的な物ではないのだ。だから、過去や、未来を想像して、起きるか起きないか分からない事を想像し、不安に思うだけ無駄。自分を不自由にしているのは、他人でも社会でもない自分自身だ。不自由の理由を自分以外のせいにしているのは、恐怖から逃げている自分を正当化しているにすぎない。結局、自分が不自由だと思っているから、不自由になっているにすぎないのだ。
・賢者は迷わず、人格者はうろたえず、勇者は恐れない。そういう人に私はなりたい。
・今日を、全力で生きない者に明日を生きる資格は無い!

 

―自分が思っている事と正しい事は別。
・同様に、みんなが思っている事が正しい事とも限らない。
・世の中に絶対に正しい事など存在しないのだ。だから、当たり前と思っている事から疑う事が必要。
 
―言葉を大切に。
・語る言葉の一言一句がその人の品格、人の価値を決める。
・自己主張の激しい人は、自らの理論に自信が無い事の表れでもある。自信がないから、他者に認めてもらい、自信を得たいのだ。
・古典の言葉は、長い「時の試練」に耐え、生き残った物。だから、価値がある。
・本物を見抜けるのは本物だけ。自分が、偽物に騙されない為にも、自分が本物、オリジナルになる必要がある。
 
―人間の豊かさは、物ではなく、精神の豊かさに起因する。
・現代は、便利な物が増え、生活は豊かになったが、精神は貧しくなった。
・たとえ、生活が貧しくとも、精神が豊かであれば、人は豊かになる。
・果たして、人類は、本当に進歩したのだろうか?生活が豊かになっても、争いが絶えないのはなぜか?それは、生活を豊かにする事に力を入れ、精神を豊かにする事を疎かにした結果だ。
 

―知るという事はどういう事か?
・自ら考えて知る事が本当の「知る」という事。
・知識を覚え知っているだけでは、「知る」とは言わない。
知るとは、分からない事を、分かっているフリをするのではなく、分からない事を分からない事と分かる事、これが「知る」と言う事だ。
・子曰く、知るとは、知っている事を知っている事とし、知らない事を知らない事とする、之、則「知る」事なり―孔子
・つまり、学んでも考えなくては知る事にはならない。逆に、考えるだけで、学ばなければ知る事は出来ない。
・子曰く、学びて思わざれば、則危うし、思いて学ばざれば、則暗し―孔子
 
―なぜ、生きるのか?何の為に存在しているのか?
・人間は、苦難、苦痛に直面した時、苦難、苦痛を正当化しようと、自分が生きる意味を見出そうとする。
・話は、変わるが、宇宙では、現時点でも、星の生成と、爆発が絶えず、繰り返されている。その事に、意味は見出さないだろう。その生成と爆発を繰り返す無数の星の中で、たまたま、人類が生まれ、悩んでいるとする。しかしそれは、星の生成と爆発の過程でたまたま人類が生まれただけで、それは無数にある星の爆発と生成の一部でしかない。よって、人類が生まれた事に特に意味は無いのかもしれない。
・では宇宙はなぜ存在しているのか?宇宙も、無数の生成と消失を繰り返しているだけにすぎないのなら、宇宙が存在する事に意味はないのかもしれない。
・仮に全能の神が宇宙を作ったとしても、ではなぜ神は存在するのか?存在理由の対象が宇宙から神に移動したにすぎない。ここで、神は宇宙を創る為に存在しているのだ、という主張をしても、では宇宙は何の為に存在しているのか?と話が元に戻るだけだ。神も存在する事に意味は無いのかもしれない。
・しかし、ここで不思議なのは、存在する理由が無いのにもかかわらず、実際に宇宙は存在し、私たちも存在している。
・つまり、意味など無いのになぜか存在している!これこそが、まさに奇跡ではないだろうか?意味などないなら、存在していなくても、存在していてもどっちでもいいはずだ。でも実際は、意味もないのに宇宙も、我々も存在している!まさに奇跡なのだ。
・存在している事、その当たり前と思っていた事を疑う事により、それが、当たり前の事ではなく奇跡だと分かる。それ自体がめったにある事ではない、つまり有り難いのだ。だから、人々は、自然に、神に感謝せざるをえないのだろう。
・真の信仰とは、存在している事への、無常の感謝である。
・弱者が、自らを正当化する為に、強者を悪とし、自分たちを平和主義者の善人であり、我々こそが神に救われるという物語で作った宗教への信仰は、真の信仰ではない!
 
―現時点での私がどうして本物の私だと言い切れるのか?
・夢の中では、他人を自分自身だと思いこんでおり、それを疑う事はない。しかし、実際は、自分ではない。夢の中の他人を自分ではないと疑わないのなら、どうして、今の私が本当の私だと言えるのだろうか?
 
―勉強をする目的は1つだけ
・勉強をする理由は「知りたい!」という明確な目的が根本になければ、意味がない。それ以外の理由で行う勉強は、身につかないし、勉強が嫌いになるので、やらない方がいい。
・多くの、子供は、知りたくないのに、無理やり、勉強を「させられる」事により、苦痛を感じ、勉強という行為は辛い事、苦痛なんだと判断し、勉強嫌いになってしまう。
・しかし、実際は、勉強とは、自分の知りたい事を知る喜びを得られる、とても楽しい事なのだ。
・だから、子供の為を思うのなら、様々な事に興味を持たせ、子供が知りたいと思った事を、自ら調べさせ、考えさせる手助けをしてやる。それ以外の不純な理由で勉強をさせない。結果的にそれが、子供の為となるのだ。間違っても、いい大学に入って、いい会社に入る為よ!などと言って、親の見栄の為に子供に勉強を押し付けてはいけない。
参考文献 14からの哲学 池田晶子