―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―断片集

―断片集
 
≪人に仕えず、天に仕えよ≫
 
 
 
≪常に天と通じていれば、判断を誤る事は無い≫
 
 
 
≪真理は魂を導き、善は魂を育み、美は魂を清める≫
 
 
 
≪体にパンを与え、魂にパンを与えず(なぜ肉体は育もうとするのに、魂は育もうとしないのか)≫
 
 
 
≪(真・善・美を)求めよ、さらば与えられん。≫
 
 
 
≪(真・善・美に)飢える者は幸いである。その者は満たされる≫
 
 
 
≪幸福の探求は何よりも出発する方向が大切だ。外側に向かうか、内側に向かうか・・・≫
 
 
 
≪魂を鍛えるだけでもいけない。肉体を鍛えるだけでもいけない≫
 
 
 
≪その魂、切るが如く、磋るが如く、琢くが如く、磨くが如く≫
 
 
 
≪全ては天から与えられ、一時的に借りているにすぎぬ。肉体然り、魂しかり。
私の使命はお借りしたこの魂を出来る限り育み天にお返しする事。之即、天ノ命也。≫
 
 
 
≪善い事とは魂にとって善い事≫
 
 
 
≪全ては塵から生まれ塵に還る(すべては天から与えられ、天に還る)≫
 
 
 
≪虚栄心。私の物、私の考えという、うぬぼれ、思い上がりにより生じる卑しい心。そもそも私というものは目に見える実態ではない。世界を成立させている形式。≫
 
 
 
≪彼の判断は誤っているのではない。一つの側面しか見れていないだけだ。
だから他の側面もある事を示してやればいい。誰も誤った判断をしたいとは思わないから≫
 
 
 
≪物性というのも広大で深淵なる自然の側面の一つであることは間違いない。
しかし、一つの側面で、自然の事が全て理解できる訳ではない≫
 
 
 
≪私を捨てる事で全てが私となる≫
 
 
 
≪理性による観測は観測対象を制限する。同時に複数の思いを観測する事は出来ない≫
 
 
 
≪どうしてコイツの感覚にはリアリティーがあって、他者の感覚にはリアリティーが無いのか。夢の中ではコイツ以外の感覚にもリアリティーを感じるのに・・・(もちろんその時はコイツの感覚にはリアリティーを感じない(同時に複数の感覚を観測する事は出来ない)≫
 
 
 
≪理性が目覚めると、夢からも目覚める。理性が眠っている事と、リアリティーを感じる対象が不確定になる事には関係性があるのだろうか。理性が目覚めているとリアリティーを感じる対象が確定されてしまうのか(あるいは物質が観測されるまでは、存在が不確定である事との関係性は・・・)≫
 
 
 
≪夢の中の現象は全て私が作り上げた幻想だと言うなら、夢の中に出てくる他者の発言も全て私が考えているとでもいうのか?作り上げたというなら、なぜ一度も見たことも聞いたことも無い考えをよどみなく明瞭に作り上げたりできるのだ。記憶に依存してそれらは私が作ったと言うのなら、なぜ私はそれを再度構築する事が出来ないのだ。(もしそうだとしたら夢の中で見た素晴らしい考えを私はここに書き留めているだろう)それは記憶に基づいていないからではないのか≫
 
 
 
≪―在るものが無限である事の証明。
在るものは在り、無いものは無い。
故に在るのもが無いものになったり、無いものが在るものになる事はない。
故に在るものに始まりも終わりもない。ただそれのみによって在る。
故に、在るものは無限となる≫
 
 
 
≪そこにはまだ空間も時間も物質もない。
ただ思いだけが永遠として今の内に在る≫
 
 
 
≪無限の宇宙空間の中の孤島に気が付くとポツンと取り残されている。
なぜ自分がそこにいるのか。どうして自分がいるのかさえ分からない。
ここから脱出する術も、死についても、宇宙は沈黙に秘している。
みじめさと無知に打ちひしがれ私は絶望する。
そんな恐ろしい事は考えないように、多くの者はとにかく何か熱中出来る事を探そうとする。
あるいは虚無を求め、無を考える。死を考える。
しかし、いくら考えても無は無い事を知る。死は無ではない事を知る。
虚無は永遠に手に入らない事を知る。
在るものは在り、無いものは無いという事を知る。
在るという事に驚愕する。
在るという神秘を体験する。
私はそこに善なる思い、善なる意思を感じる。
私はそこに神を見た≫
 
 
 
≪在るという奇跡によって人は神を認識する≫
 
 
 
≪物質を全て集めても精神を生み出す事は出来ないだろう。なぜなら次元が異なるから。
精神と物質を全て集めても、<私>を生み出す事は出来ないだろう。なぜならそれは次元が異なるから≫