―存在とは何か

真理への飽くなき追究

―断片集

―断片集
 
≪人間が偉大であるのは、無知を自覚しているという事にある。
一本の立ち木は自分が無知である事に気付かない≫
 
 
≪学問は人間の本能である≫
 
 
≪怒りについて
健康な人間が医者からあなたは熱があるといっても怒らないが
自分が知者だと思っている人間が、他人から無知だといわれると憤慨する。
愚かであると言われて怒るのは、自らが愚かであるからではないのか。
正しくないと言われて憤慨するのは、自らが正しくないからではないのか。
真に正しいと確信しているのであれば、他人の言説によって、正しき事が揺らぐことはない。正しき事は、ただそれのみにおいて正しいのだから。故に憤慨する必要もない。
 
見ない様に蓋をしていたものを、見せつけられる事により憤慨する。
心地よい眠りから、たたき起こされて憤慨する。
怒りの原因は他者にあるのではなく、自らの内にある。
恥ずべき行いをしているものだけが、恥ずべき行いを指摘されて怒りだす。
自らの事は棚にあげて。
このように怒りとは多くの場合、ただの八つ当たりである≫
 
 
≪真理の妨げ うぬぼれ、思い上がり、虚栄心≫
 
 
≪真理の探究に向かって行われない議論は不毛である。
自分の意見を言い合うだけの議論や、自分の言説を押し付け合うだけの討論も同様に≫
 
 
≪偶像信仰は神の為ではなく、儚き人間の為にある。
神の為でなく、自分の為に祈る、あまりに人間的な営みであり、救いは無益である≫
 
 
≪神は偶像ではない。偶像としての神など殺せ。神は己の内に在る≫
 
 
≪我々が存在する為には、物体に帰せられるいかなるものも必要としない≫(デカルト
 
 
≪何であれ見えているのであれば私である≫(ウィトゲンシュタイン
 
 
≪何であれ、思いが在るのであれば私である≫
 
 
≪何であれ、今が在るのであれば私である≫
 
 
≪生まれた時に初めて出会うのは母親ではなく、世界である。
私とは世界のいかなる内容でもない。
いわば世界を成立させる為の形式である。
世界があるから私があるのではない。
私があるから世界がある≫
 
 
≪世の中全体が幻想に囚われているというのは本当である。
あらぬものをあるものとし、あるものをあらぬものとする。
無価値を価値とし、価値を無価値とする≫
 
 
≪人々は、死もみじめさも無知からも免れぬとして、そんな事は考えずに済まそうとする。
しかし、これらを治療する唯一の方法が考える事である≫
 
 
≪彼らが、とにかく何か熱中できる気晴らしを常に探し、あるいは偶像にすがって救いを求めるのは、死とみじめさと無知に怯える弱さからである。
彼らが目標としているものは、手段であって真の目的ではない。
彼らの真の目的は、考えないようにただ目をそらす事であり、その為に、とにかく、何かに熱中出来ればそれでいい。
毎日、賭け事にいそしむ彼に、賭け事をやめさせる代わり金を与えてみれば分かるだろう。
彼が求めている事は必ずしも金ではない事が分かるはずだ。
名誉を求めて部屋にこもりきってで汗水を流している学者に、すぐにでも名誉を与えてみよ。彼が求めているのは必ずしも名誉ではない事が分かるはずだ。
他国を植民地にする為に戦争を仕掛ける指揮官にすぐにでも国を与えてみよ。彼が求めているものは必ずしも植民地では無い事が分かるはずだ。
彼らが、目的としている金や地位や名誉や女との交際は、自らを駆り立て、何かに熱中する為の手段に過ぎない事が分かるだろう。
故に、目標は困難であればあるほどいい。
彼らは、自ら盲目であろうとする。
彼らは、自ら作り出した幻想に囚われようとする。
全ては、死とみじめさと無知に怯える弱さが彼をそうさせるのだ。
しかし、死とみじめさと無知から目を背けた所で、それが解決する訳ではない。
それらを解決させるのは、ただ考える事、それのみである≫
 
 
≪物事の理解は2通りしかない。
完全に理解できるか、全然理解できないか≫
 
 
≪宇宙は空間の内に私を包み込むが
私は思考の内に宇宙を包み込む≫
 
 
≪正しいと思われる事は夢の中へ持って行かなくてはならぬ
夢の中においても正しければ、それはこの世と夢の中において正しいという事である≫
 
 
≪存在している事は分かる
しかし、それが何であるかが分からない≫
 
 
≪私は一つのつまずきの石である≫(イエス・キリスト
 
 
≪善なる力に従うという事は、神に従うという事である≫
 
 
≪愛するという事は、真・善・美を愛するという事であり
神を愛するという事である≫