―存在とは何か

真理への飽くなき追究

意識について―太郎君と叔父さんの対話

意識について―太郎君と叔父さんの対話
 
太郎「ねぇおとーさん!」
父「何だい?太郎」
太郎「僕ってどうして僕なの?」
父「・・・・それは太郎は太郎だからだよ」
太郎「違う!ボクが聞いているのはそんな事じゃない!」
父「もー、遅いんだから、そんな事はいいから歯を磨いてさっさと寝なさい!」
太郎「・・・はーい。(もー、お父さんはいつもこうやってボクの質問をはぐらかすんだから。。そうだ、こんど叔父さんの家に行ったときに叔父さんに聞いてみよう!)」
 
太郎「叔父さーん!こんにちは!」
叔父さん「おお、太郎君!久しぶり、元気かい?」
太郎「うん!元気だよ!それよりさ、叔父さん、何でボクは他の誰でもなくボクなの?」
叔父さん「・・・太郎君、君は、他の別の誰かでも良かったのに何で太郎なんだろう?と不思議に思っているという事だね?」
太郎「そうだよ。」
叔父さん「そのまえに太郎君、君が他の誰かである可能性を考える前に、君が太郎君だって何でそう言えるんだい?」
太郎「なぜボクがボクであると言えるか?それはね、なぜか分からないけどね、この太郎の体をつねると、ボクが痛みを感じるんだ。はらこうやってね、イタタ。。でもね、おじさん、今、ボクがこの太郎の体をつねっても叔父さんは痛みを感じなかったでしょ?だからね、ボクが感じる感情とか、意思とかと、なぜかこの太郎の体が連動しているんだよ!だから、この太郎の身体はボクであると言えるんだ。」
叔父さん「ちょっと待って、君の意識と太郎という身体がなぜか連動している事は認めても、意識=身体とするのはどうなのかなぁ・・」
太郎「どういう事?意識と身体の違いなんて見えるか見えないかの違いでしかないじゃん!」
叔父さん「でも、意識は触れる事も出来ないよ?」
太郎「でもね、そんな事いったら、身体も触れる事は出来ないよ?」
叔父さん「なぜ?」
太郎「僕ね、学校で身体は物質で、物質は原子から出来てるってならったんだ。それでね原子は何から出来てるのって聞いたら先生は素粒子から出来ているんだよって教えてくれたの。それでね素粒子は何から出来ているのって聞いたらエネルギーから出来ているんだよって教えてくれたの。で、エネルギーは何から出来ているのって聞いたら、無から生まれたんだよって、無は何から生まれたのって聞いたら存在から生まれたんだよって、じゃあ存在は何から生まれたのって聞いたら、無から生まれたんだよって、、もうボクはよく分からなかったんだけどさ、とにかくボクが言いたいのは、身体はたーくさん原子が集まっているから、触れる事が出来るけど、そのなかの原子1個だけに触れても、触れた事には気づかないよね?それと一緒で意識に触れていても気づいていないだけなんじゃないの?」
叔父さん「気づかないと触れた事にならない、つまり、存在していても気づけないと存在している事にはならないって事だね。」
太郎「うん、まーそういう事だけど」
叔父さん「初めに君は、どうして、僕は他の誰かではなく、この太郎なんだろう?と言ったよね。」
太郎「うん。」
叔父さん「それは、君だけじゃなくて、他人にも君と同じように、意識があると思っているから、他の誰かが君である可能性も考えられる訳なんだけど、もし、他人にも君と同じような意識がなければ、意識があるのは君だけなんだから、太郎君が君であるのは必然的とならないかい?」
太郎「いや、でも他人にも意識があるのは当たり前じゃないか。叔父さんの体をつねったら叔父さんは痛いって思うでしょ?僕と同じように叔父さんにも意識があるのは当たり前だよ。」
叔父さん「でも、私の痛みを君が感じる事が出来ない以上、私が痛がっているように振る舞っているだけで、本当は私は痛みを感じていない、つまり私に意識は無い可能性だって否定できないでしょ?」
太郎君「叔父さんが実は心がない人間によく似たロボットだってこと?」
叔父さん「それは、他人の意識を感じる事が出来ない以上、自分以外の全員に対しても言える事なんだよ。つまり、他人に意識があるかどうか分からない以上、君が意識を持っているなら他の誰でも良かったなんて可能性は無いんだよ。君が意識を持ってしまって、他人の意識を感じる事が出来ない以上、君は君でしかないんだ。それ以外の可能性を考える事は不可能なんだよ。」
太郎君「つまり、どうしてボクは他の誰かでなく、このボクなんだろう?という疑問は、他人にも、僕と同じように心があるという前提で成り立つ疑問だから、この前提がそもそも成り立たなかったら、この疑問を立てる事はそもそも不可能という事?」
叔父さん「そういう事。」
太郎「でもさ、さっきも言ったように、身体との距離が近づいて近づくほど、身体→原子→素粒子→エネルギー→無となって触れれなくなるように、意識もさ、ちょうどさっきと逆で離れれば離れるほど、感じる事が出来なくなるものなんじゃないかな?ボクと太郎は極めて近い距離にいるから、感じる事が出来るけど、ボクと叔父さんはもう距離が離れすぎているから、叔父さんの意識を感じる事が僕には出来ないんだとしたら?」
叔父さん「意識を感じる事が出来る、出来ないの問題を距離の問題とした訳だね、君は。でも、意識という構造は自分の意識によって意識される事でしか在る事にはならない。つまりいくら距離が近くても他人の意識は感じる事は不可能なんじゃないかな。つまり、意識は自分に意識されないと、あっても無いという構造をしていると考えているんだ。」
太郎「意識によって意識されるってどういう事?意味不明。それに自分=意識でしょ?意識は自分によって意識されるって事は、意識は意識によって意識されるって事でしょ、どういう事?」
叔父さん「そうそう!、つまり、私が言いたいのは意識しかないという事。そもそも『他人の意識』とか論じる事が不可能という事なんだよ。だって私=意識でしかないんだから。私の意識とか言う必要もない。それって同じ事を2回繰り返しているだけなんだよ。要は1は全てであり、全ては1であるって事。」
太郎「全ては1で、1は全てってどういう事?」
叔父さん「1が意識、つまり意識は全てで、全ては意識って事。『私の意識』って言うのが同語反復であった様に、『今、この意識』って言う事も、同じ事を繰り返しているだけなんだ。この意識は今しかないからね。意識を感じるのはいつだって今だ。意識には今性を含んでいるんだよ。つまり今=意識。同様に存在=意識、世界=意識、すべては意識で、意識は全てなんだよ。」
太郎「うーん、叔父さんと話てたらよけい訳わかんなくなっちゃたよ」
叔父さん「それは、真実が分かってきたという事だよ。」
太郎「分かんなくなったのに、分かってきたという事?」
叔父さん「そうだよ、わけ分かんないのがこの世界なんだから、分からないという事が分かるという事は分かってきたという事だよ。」
太郎「ふーん、変なの。」
叔父さん「その訳わかんなさから逃げない者は勇気がある。勇気ある者にしか本当の事はわからないだろうね。」
太郎「うん、僕も勇気をもってみようと思う。ありがとう叔父さん。」