―存在とは何か

真理への飽くなき追究

この世界を構築しているのは、暴力とカネである

―金で買えない物は「暴力の権利」だけ
・カネでいくら、裁判官や警察を買収しても、それは、一時的な、限定されたの暴力の権利にすぎない。つまり、管理範囲内で暴力の権利を一時的に得ているにすぎない。
・国家が戦争の時、民間警備会社(マフィア・暴力団を含む)へ、カネを支払って、暴力の権利を与える場合がある。(戦争の民営化)これは、監視下において、限られた範囲で暴力の権利を与えているに過ぎない。
・つまり、いずれも、実質的な暴力の権利をもってはいない。
・暴力の権利をもっているのは国家だけだ。
・なぜ国家だけが、暴力の権利を独占する事が出来るかというと、国家が最も強い暴力の権利を持っているから。最も強い暴力をもっているからこそ、例外措置といって、法から逸脱した行動もとる事が出来る。暴力の権利を取り締まる事も出来る。無理やり労働の成果を徴収(税収)する事も出来る。
 
―この世界を構築しているのは、暴力とカネである。
・国家が誕生する以前、暴力は全ての民が有していた。
・この様な自然状態に置いて、必ず、強い暴力を持つ物が、暴力により、土地や富を奪取し、暴力により、労働を行なわせ、労働を組織化していった。
・つまり、暴力への恐怖から、労働を課せられていたわけだ。
・そして労働力の成果を徴収し、労働している以上、命は保護される。つまり、徴収と保護の関係が成立する。
・そして、労働力の成果を高率よく、徴収するシステムとして、貨幣が生まれた。
・貨幣は、物を高率よく、交換するシステムといして登場したと考えられていたが、実際は、労働を徴収する側の都合により、生まれたに過ぎない。
・実際、暴力の恐怖により、無理やり労働が課せられる前は、物々交換が基本だったと考えられる。
・カネが生まれた事により、カネは「富への権利」へと変換した。
・カネは単なる数字に過ぎない為、実質的に無限に富を溜めこむ事が出来る。また、カネを使い労働力を買う事が出来る様になれば、次は自分が徴収される側でなく、徴収する側になれるという希望を生み出す。つまり、カネが生まれ、資本を持っている物が労働力を買い、労働の成果を徴収するシステム、資本主義がうまれた。つまり、従来の、国家の暴力による、労働者の支配ではなく、資本家による、カネという欲望による支配に変わったのだ。人間は、恐怖により、働かせるより、希望により働かせる方が、従順になり、生産性も増す。労働の組織化は資本家に任せる方が、労働の生産力が増すので、税の徴収は多くなる。代わりに、国家は、資本家の活動を保護し、支援する。なので、国家は、労働の組織化は資本家にまかせる事にし、自身は、暴力の組織化に特化するように変化していった。国家が民営化を進めるのも、そのような理由からだ。なお国家自身が労働を組織するシステムは共産主義である。
・つまり、資本家が「富への権利」(労働をカネにより購入し、労働の成果を徴収する権利)、により労働者から徴収し、国家は「暴力の権利」により、資本家から徴収する。
・国家による暴力の組織化とは、国家の暴力を正当化する為の法の整備、暴力を組織、強化する為の税の徴収、暴力の権利の取り締まり等である。国家は、自身以外が無断で暴力
の権利を利用する事を許さない。
・国家は自身の暴力の権利により徴収する代わり、民衆を無断で暴力の権利を乱用する者(犯罪者)から保護する。つまり、保護と徴収の関係にある。しかし、実際は、国家に無断で暴力を利用した者への制裁であり、労働の成果を暴力により徴収している事を正当化する言い訳にすぎない。
・我々の人権なども、国家が無断で暴力の権利を乱用する者を取り締まる為の物で合って、人権自体も、国家の暴力により存在しているにすぎない。
・つまり、我々の生活とは、暴力の上に成り立ち、暴力により守られているといっても過言ではない。
・国家は自らの暴力の酷使を法により定め、正当化する。しかし、例外措置といって、時に法が適用されないケースを作る事も、国家は可能である。
・また、法は、解釈の余地や空白を常に残し、国家の都合のいいように、解釈される。
・ゆえに、法の内容ではなく、実際どのように、その法は解釈され使用されたかが重要。
また、法が改定される時は、国民は、自身にとって都合のいいように解釈するのではなく、常に、最悪の事態を考え、国家の都合のいいよな解釈も想定していなければいけない。
 
―暴力は社会、組織を形成する原始的な、モーターである。
・より強い暴力が土地、富を奪取し、労働を強制させる
・労働の成果を効率的に徴収する為に、カネのシステムを生みした。カネにより、労働の成果を徴収する様になった。
カネで労働力を買い、労働の成果を徴収する事が出来るシステムを作った(資本主義)
このシステムは、従来の暴力(恐怖)により、労働さえるのではなく、富への希望を元に、労働させる。結果、労働者は意欲的に働くようになり、生産性もあがる。結果、国家の税の徴収も増えるので、国家は、労働の組織化を資本家に委ね、国家は資本家の活動を保護、支援する。国家は暴力の組織化に特化。
カネと暴力が世界を支配する2大要因となった。
―金と、暴力の支配から逃れる為に。
・カネと暴力の支配から逃れる為には、欲望を捨て、死を恐れず、大儀を元に行動する事が必要。
・つまり、サムライの精神が必要。
・サムライは、カネ等の欲望に溺れず、大儀の為であったら死すら恐れなかった。
・また、大儀の為であったら、たとえ、御上の命であろうと、間違いを正し、切腹も恐れなかった。
・カネと暴力の支配では、人間社会に永遠に平和は訪れないだろう。
・現在はより強い暴力が、その他の暴力を押さえつけているに過ぎない。つまり、暴力の下に、平和が維持されている。
・我々の生活その物が、自らの弱い者を暴力により、徴収する上で成り立っている。
・我々は食べ物の獲得一つを取っても、暴力から切り離す事は出来ない。自分達より、弱い生き物を暴力により徴収する事を誰も黙認している。その矛先が自分達より弱い人間に向けられているからと言って大した違いではない。ゆえに、暴力とは生活する上での基盤なので、悪いも悪くないも無い。
・つまり、暴力から、我々を切り離す事は出来ないが、節度を守る事は出来る。自然界の動物もむやみやたらに、襲ったりはしない。
・しかし、カネの欲望と暴力の恐怖では、節度を持った行動をする事は出来ないだろうし、多くの人の力も得る事は出来ない。
・人類が一丸となって、協力し、より高みを目指すには、カネや暴力による支配や協力ではなく、大儀により集結した者たちの力が重要となるだろう。
 
参考文献 カネと暴力の系譜学 萱野 稔人